■ゲーム作りのルーツは歴史小説
そもそも、私が信長を好きになったきっかけは、歴史小説でした。私は栃木県足利市の出身ですが、ここは足利家の居宅跡や一族の氏寺などがいまだに残る街で、子どもの頃から必然的に歴史との接点が多かったんですね。だから歴史が好きになり、高校の頃からは、司馬遼太郎の本をよく読むようになった。そして歴史の面白さや、たびたび出てくる信長の魅力にハマっていきました。
それぞれの時代に活躍した人物が、当時の環境の中でどうやって生きていったのか。そんな私が関心を持っていたことが、歴史小説には書かれていた。中でも、一番好きだったのは『国盗り物語』。他には、山岡荘八の『徳川家康』、吉川英治の『三国志』といった長編大作も好きでしたよ。
歴史をゲームにしようと思ったのは、当時、世の中に歴史のゲームがひとつもなかったからです。じゃあ自分で作るしかないかと、『川中島の合戦』というゲームをパソコンで作りました。1980年(※発売は1981年)のことです。
前にお話しした通り、当時の私は会社を経営していたんですけれど、ちょうどその頃、うまくいかずに悩んでいたんですね。それで書店へ通って、松下幸之助やドラッカーなど、いろいろな本を参考にしようとした。そんなときに目に入ってきたのが、とあるコンピュータ雑誌。当時はパソコンではなくマイコンと言っていましたが、その雑誌にマイコン時代到来って書いてあったんですよ。
縁遠かった大型コンピュータが小型化され、目の前で自由に操作できるようになり、あなたの生活が充実して、バラ色の未来が待っています――みたいな(笑)。
私は理工系ではなく商学部出身ですから、もう訳が分からない。でも、どこか夢を感じたんですよね。仕事がうまくいってなかったので、夢のあるものに飛びつきたかったのかもしれません。
そこで「パソコンを買うしかない!」と決心したんですが、当時パソコンの値段は20~30万円くらい。初任給が7~8万円の時代ですからね。とても買える品物じゃない。ましてや会社が儲かっていないわけですからね。
そうしたら、株で儲けた妻が誕生日プレゼントで買ってくれたんですよ。ちなみに妻は今、我が社の会長で、私の上司です(笑)。
ただ、パソコンを買ってはみたものの、これでどうやってバラ色の未来が作れるのか、さっぱり分からない。でも、買ってもらったからには、妻に「役に立っている」と言わなければならないので(笑)、独学でプログラミングを勉強して、財務会計や在庫管理、見積もり計算をOA(オフィスオートメーション)化していきました。私と社員1名しかいない会社でしたから、財務会計も在庫管理も、手書きですぐ終わるようなことでしたけどね。
その一方で、夜はそのパソコンでゲームを遊んでいました。当時はまだ、ゲームソフトなんてどこにも売っていない。コンピュータ雑誌にプログラムリストが掲載されていて、それを自分でパソコンに打ち込んで遊ぶしかありませんでした。
自分でリストを入力していると、だんだん「こうやって動かしているのか」と、ゲームプログラムの構造が分かってくる。すると、自分でも作りたくなっちゃって、大好きだった歴史をゲームにしてみたわけです。もちろん自分用に。そしたら、これがすごく面白かったんですね。
そこで「歴史のゲームを遊んでみたい人は、他にもいるかもしれない」と思って、パソコン雑誌に半ページの販売広告を出してみました。そうしたら、ワッと全国から現金書留が来まして。当初は10本売れればいいかなと思っていたのが、最終的には1万本を超えたんです。
歴史が好きなことや、訳もわからずパソコンに飛びついたことで、結果的に生まれたゲームが、ビジネスになっちゃったわけです。パソコンを入手したときには、染料問屋がゲーム会社になるなんて、まったく想像していませんでした。