2月3日発売の『声優MEN vol.16』(双葉社)で、声優の福山潤さんが各業界のプロフェッショナルと対談していく新連載「福山潤のプロフェッショナルトーク」がスタートした。
福山さん自身、そしてゲストの知られざる仕事論、プロ論を明していくこの企画。第1回のゲストは、ニッポン放送アナウンサーの吉田尚記さん。アナウンサーとしてはもちろん、イベントのMCや著作の刊行、さらにVTuber・一翔剣としても縦横無尽に活躍する吉田さん。今回は二人にラジオの魅力や、コミュニケーションを中心に語って頂いた。
写真/小嶋淑子
文/岡本大介
ヘア&メイク/杉野智行
■二人は意外にもコミュ障同士!?
――イベントやラジオなどで交流のあるお二人だと思いますが、最初に会ったときのことは覚えていますか。
福山 いや、もはや定かではないですね。
吉田 そうですね。いつだったかな?
福山 僕はデビューして2、3年目くらいのときに、声優雑誌の記事を見て、一方的に吉田さんのことを知っていましたね。アナウンサーかつアニメオタクって、当時はなかなかいなかったですから。
吉田 僕がイベントでご一緒したのを覚えているのは、たしか『神霊狩/GHOSTHOUND』が最初だったと思います。
福山 07年か08年ですよね。僕がコンスタントにイベントに出始めた頃です。
吉田 もっと以前から出ていませんでしたか。
福山 いえ、僕自身はデビューしてからずっと低空飛行だったので(笑)。
吉田 でも『無敵王トライゼノン』とか『超重神グラヴィオン』とか、すでにいくつも主演されていましたよね。
福山 その当時は、TVアニメのイベント自体がさほどなかったですし、あったとしても、女性キャストがメインで、男性声優はまだ一部の人しか表に出ていない時代だったんですよ。
吉田 そうだったんですね。確かに、言われてみれば女性キャストのイベントばかりでしたね。
福山 吉田さんは司会なのにアニメに詳しくて、進行役を超えていろいろな話を振ってくれるので新鮮というか、とても嬉しかった記憶があります。
吉田 僕自身が高校生のときからよくアニメイベントを観に行っていて、お客さんも登壇者もみんなが作品のファンなのに、なんで司会者だけは淡々としているんだろうと不思議に思っていたんです。アナウンサーになって業界を知ってからは、仕方ないなとも思うんですが(笑)、アニメオタクである僕からすれば作品を観ると、聞きたいポイントは散らばっているので、イベントでそれを素直に出していっただけなんです。新鮮だと感じてもらえたのなら光栄です。
福山 吉田さんはいちファンとして自分の見解も述べてくれるし、けれど出過ぎないから、立ち位置が絶妙なんです。当時の僕はイベントでどこまで自分のプライベートを出すべきなのか、立ち居振る舞いについて悩んでいたので、そんな中で吉田さんは自然とそのバランスを示してくれた気がして、すごくやりやすかったです。
吉田 ありがとうございます。もともとアニメオタクだった人間がたまたまアナウンサーになっただけなので、そこはラッキーだったというか。オタクなので作品愛が自然に生まれちゃうんです。
福山 でもそういう司会者は当時ほとんどいなかったですよね。大抵はキャストは横並びで順番にコメントを言っていくだけでしたから。でもそこに吉田さんの知見や洞察が入ってくると、もともと僕もアニメが大好きで声優になったわけですから、声優という立場以前にオタク心を刺激されて、ついつい熱く語っちゃったりもするんですよね。そうしたらお客さんもすごく好意的に反応してくれたりもして。
吉田 アニメファンとして私は、司会しているというよりお客さんの代表としてそこにいる、という気持ちが強いんですよ。
――吉田さんは当時の福山さんにはどんな印象を持ちましたか。
吉田 興味の範囲がすごく広い方だなと感じていました。そこは今もそうですし、当時と印象はほとんど変わらないですね。
福山 でも僕は20代と今ではイベントに対する意識は、かなり変わりました。僕はもともと人前に出ることに興味のない人間だったんですが、今では応援してくれる人がいるなら何でもやってやろうと思うようになりました。
吉田 僕はステージ上とステージ裏のどちらの福山さんも見ているから、本質的に変わっていないと感じていますけど、ステージでの振る舞いだけを見れば違っているのかもしれませんね。
福山 それに吉田さんが主催する食事会にも呼んでいただいていたので、僕のことはよく分かっていらっしゃいますし。
――吉田さん主催の食事会というのは?
吉田 僕が知り合いの方々を一堂に招く食事会を定期的に開いているんです。福山さんもこれまでに何度も参加してくれているんです。
福山 吉田さんは人と人をつなぐ能力が異様に高いですよね。まったく異なる業種の方々が集まって、しかもそれらが交わっていく。食事会に行かなければ一生縁がないであろう人たちともたくさん知り合えましたし、一種のカルチャーショックでした。