名越稔洋(撮影:弦巻勝)
名越稔洋(撮影:弦巻勝)
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 僕らが作った『龍が如く』というゲームは、極道が主人公の物語を、追体験する作品です。シリーズ1作目を企画した2003年頃。ゲーム機の性能が向上して、クオリティが上がる一方、製作費もかかるようになりました。すると、リスクを恐れて企画で冒険しにくくなり、どのメーカーも似たり寄ったりのゲームしか出せなくなっていたんですね。

 当時のゲームは、スポーツかレースか、アクションもの──それもゾンビやモンスターを撃つものばかり。そのどれかを作ることが「ゲーム作り」なんだとしたら、なんて選択肢の狭いエンターテイメントなんだろうと。そんな思いが、日々ストレスとして溜まっていきました。

 そして、誰も喜ばない中途半端なゲームを提案するくらいなら、きちんと誰かを喜ばせて、ビジネスとして成立させるゲームが作りたいと思うようになったんです。どうせやるんだったら徹底的に……と、当時重視されていた世界マーケットを意識するのを捨て、子どもや女性客もターゲットから外しました。でもその代わり、残った人たちを思い切り満足させられるコンテンツに仕上げようと、『龍が如く』を立ち上げた。そういう意味では、強い反骨精神から生まれた作品と言えるかもしれませんね。

■認知が高いネタで、誰もやったことがないことをやる

 ヒットの法則というものが一つあるとすれば、「認知が高いネタで、誰もやったことがないことをやる」ことだと思います。認知度がなければ、それが何なのかを教えるところから始めなくてはいけない。すると、そこにコストがかかってきます。ただ、認知の高いものはみんな飛びつくから、手アカのついていないものは、なかなか残っていない。

 このゲームが世に出るまでは、任侠とかアウトローを描く作品って、映画やドラマにしかありませんでした。僕は、そこに勝機があると最初から思っていました。単に“逆張り”したわけではなく、逆に張ったことで得られる魅力も想像できていた。買うか買わないかは、最終的にユーザーの嗜好ですが、少なくとも一瞬必ず目が止まるものには確実になるだろうと。

 ゲームの遊びの部分で言うと、新宿の歌舞伎町に行ったことのある人は少なからずいると思いますが、面白そうだけど怖くて入れない店がたくさんあったりするわけです。でも、ゲームでなら入ることができる。ゲームならではの疑似体験って、「できないことをさせる」こと。宇宙に行ったり、ドラゴンを倒したりできるように、怖くて入れない店に入れるようになってもいいんです。

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