■30年前に描いた作品が、ポッと狂い咲きした感じですよね

「漫画を描き始めたきっかけは……もともと漫画が好きで、落書きはずっとしていましたし、高校生くらいから、ちゃんと描いてみようと思って練習を始めたんですね。今になってみると、中学生の頃に同級生の家に遊びに行ったとき、妹さんが読んでいた『週刊マーガレット』に触れて、たぶん、そこで初めて少女漫画の美しさに気づいたんだと思います。

 それまでも、少女漫画を読んでなかったとは思えないんですけれども、だいたい私がもっと小さい頃の少女漫画は、“母子モノ”とか“お涙ちょうだいモノ”しかなかったわけです。それもほとんどが、女性じゃなくて男性が描いていたんですよね。ちばてつや先生、赤塚不二夫先生、石ノ森章太郎先生、手塚治虫先生だって。みんな男性が少女漫画を描いていたわけです。

 初めて『週刊マーガレット』を見た頃から、やっと女性がメインで描き始めた。それでもそのキレイな世界観というのは、やっぱり男性の描くものとはまったく違っていましたから、そこに惹かれたんだと思いますね。その世界に触れて、それ以降の自分の漫画家人生に大きな影響を残したと思います。要するにキレイなものが好きで、美しいか美しくないかが私の判断基準になった。」

「『翔んで埼玉』を描いた経緯は詳しくは覚えてません。なんか変わったものを描こうと思って描いたというだけのことだったと思います。私は普段から打ち合わせはまったくしませんし、編集者の意図も入ってませんから。当時は反響も何もなかったですし、だから30年前に描いた作品が、ポッと狂い咲きした感じですよね。

 映画は冒頭、最初に男性10人のバレエダンサーが真っ先に出てくるのですが、その真ん中で踊ってるのが息子で、それがハケると大きな白い花が飾ってあるテーブルで、私が羽ペンで漫画を描いています。その両脇で踊っているのが奥さんと娘です。家族全員で出ているのですが、ついでに言うと、『パタリロ!』にも出ています。両方の映画に出ているのは私たち家族と加藤諒クンだけなんですよ。」

魔夜峰央(まや・みねお)
1953年3月4日、新潟県生まれ。高校2年生時の夏休みから漫画を描き始める。73年秋の号「デラックスマーガレット」に掲載の『見知らぬ訪問者』でデビュー。78年から「花とゆめ」で連載開始した『パタリロ!』が100巻にわたるロングランヒットとなる。86年出版の短編集に収録されていた『翔んで埼玉』が話題となり、復刻出版されて大ヒット。映画化されることになった。

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