「ものまね四天王」によって空前のブームが巻き起こった1990年代のものまね。以降、お茶の間で安心して楽しめる“鉄板コンテンツ”となった。そのコンテンツを巡る、フジテレビの『ものまね王座決定戦』と日本テレビの『ものまねバトル』の争いは、土8戦争と並んで語り継ぐべき視聴率戦争だったと言える。
ものまねで重視されることは、似ていて感動することか、誇張していて面白いことか。似た番組をつくる場合、どう他局との違いをどう図るのか。
いまだ語られてこなかった「ものまね芸人の業」と「テレビ局のプライド」に迫る!
『ものまねイデオロギー闘争』第2回 その2
下ネタとものまねを高次元に昇華した至芸で『ものまね王座決定戦』で大活躍した清水アキラ。そんな清水の芸を渋い顔で手厳しく評論したのが審査員・淡谷のり子。その関係を振り返り「淡谷先生が怒らないといけないんだ」と語る真意とは――。
――清水さんは1984年10月から『オールスターものまね王座決定戦』(フジテレビ系)に出演するようになります。
清水 清水國明さんを通して出るようになるんだけど、『ものまね王座』は五木ひろしさんや野口五郎さんといった歌手の方たちが主役で、俺たち芸人は、言ってみりゃ“おかず”。1回戦で負けたら「予定通りだ」と納得して、勝ったらもうけもん。歌手の方々の誰かが優勝するのが当たり前だと思っていたんだ。
――当時は歌手の方のほうが断然地位が高かったんですね。
清水 そうだよ。芸能人水泳大会だって、郷ひろみさんが前を泳いでいたら、スピードをゆるめようかなと思ったもん(笑)。空気を読まなきゃ。なのに、あれは87年か? 『ものまね王座』でコロッケが優勝したんだよ。「俺も(優勝)できるんじゃない?」と色めきたったよね。芸人が活躍するようになると、理由はわからないけど、歌手の方は番組に出ないようになって。
――プロデューサーの木村忠寛さんから「ものまね四天王を押していくぞ」と言われたんですよね。
清水 そんなこともあったね。木村さんに「栗田貫一はどう思う?」と聞かれたから、「キーナマ(生意気)だけど、アイツは乗ってますね」と答えて。その後、制作会社に4組(コロッケ、栗田貫一、清水アキラ、ビジーフォー)が集められた。せっかく集まったのに、木村さんがたわいのない話を続けるもんだから、栗田は「明日の朝が早いんで」と帰ろうとするんだよ。木村さんが「みんな忙しいんだ! じゃあ帰れよ!」と怒って。俺が「待て。これから大事な話があるんだ」と引き止めて、栗田は首の皮一枚つながったんだよ。
――清水さんは栗田さんの芸を認めていたんですね。
清水 俺たちにないものを持っていたからね。いまでも「あのとき兄貴が止めてくれたから、いまの自分がある」と感謝されるよ(笑)。
――ビジーフォーさんにはどんな印象がありましたか?
清水 最初は話したことがなくて。事務所の後輩だから「君たちも頑張ってるね」というスタンスだったね。「ウケている」と聞いていたけど、俺は観ていなかった。影響されることが嫌で、できるだけ人のネタを観ないようしていたから。一緒の番組に出るようになってからビジーフォーを観るようになって。よく洋楽のものまねをしていたけど、「全部同じように聴こえるな」と思うこともあったよね(笑)。
――コロッケさんはどうですか?
清水 ものまね四天王の結成当初、コロッケはズバ抜けていたよ。『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)でちあきなおみさんや岩崎宏美さんの形態模写をやっていた頃は「まあ、ここまでだろうな」と見ていたけど、歌うようになってから「おお、すげぇな」と思って。ただ、四天王として括られたことで、4組に上下がなくなったよね。


