小学生がスキー場でバカウケ…清水アキラの「長野の山奥の芸」がTBSのオーディション会場を揺らした日【ものまねイデオロギー闘争/清水アキラ編第1回】の画像
清水アキラ(撮影/イシワタフミアキ)

 「ものまね四天王」によって空前のブームが巻き起こった1990年代のものまね。以降、お茶の間で安心して楽しめる“鉄板コンテンツ”となった。そのコンテンツを巡る、フジテレビの『ものまね王座決定戦』と日本テレビの『ものまねバトル』の争いは、土8戦争と並んで語り継ぐべき視聴率戦争だったと言える。

 モノマネで重視されることは、似ていて感動することか、誇張していて面白いことか。似た番組をつくる場合、どう他局との違いをどう図るのか。

 いまだ語られてこなかった「ものまね芸人の業」と「テレビ局のプライド」に迫る!

『ものまねイデオロギー闘争』第2回 その1

撮影/イシワタフミアキ

 

 大人を笑わせ、良識派の眉は顰めさせる、ものまね界唯一無二の芸風を持つ清水アキラ。教室、スキーロッジ、電車内――。場所を問わず、無手勝流の芸で爆笑をかっさらっていた〝デビュー前〟を振り返る。

 

――清水さんの半生とものまねについてお聞きしたいです。

清水 難しいよ。

――ついていきます。長野から東京に遊びにきたときに寄席で観た声帯模写芸人の桜井長一郎さんに憧れたとか。

清水 そう。桜井長一郎さんのものまねって、手品みたいだったよね。「おのおのがた」と言うと、「あ、長谷川一夫だ!」という驚きがあって。漫才も落語も好きだったけど、桜井さんになると思わず身を乗り出したね。

――桜井さんの影響で、小学生の頃からものまねを始めて。

清水 小学4年くらいで目覚めたかな。学校の先生のものまねを友だちの前で披露するようになった。中学生になると、授業が自習時間になったりすると、まわりから「清水! 清水!」とコールが起きたりして。周りに「あんまり大きな声を出すなよ」と言ってから、ものまねをしてね。
 地元のスキー場でロッジにいるお客さんを集めてものまねを見せていたら、「面白い少年がいる」と話題になってね。そのまま館内放送でアナウンスされるようになったこともあったね。ものまねが終わると、帽子を回してお金を入れてもらってね。

――その頃はどんなネタをやっていたんですか?

清水 ポパイ、上田吉二郎、左卜全、『巨人の星』もやったね。「父ちゃん、俺はいまマウンドに……」なんて言って。気づいたらネタ数は40を超えていたね。ただ、披露し終わったら、「あのネタをやり忘れた」と後悔するんだ。忘れないように青い模造紙にネタを書きながら、「順番を変えたほうがいいな」と思うようになって。

――構成まで考えるようになったんですね。高校生のときはどうでしたか?

清水 栃木の足利工業大学附属高等学校(現在の足利大学附属高等学校)に入って。地元の駅から信越線の高崎で乗り換えて、足利まで行くんだけど、一緒に通う友だちに煽られてね。電車内でものまねをすると、お客さんがみんな喜んでくれて。高崎まで2時間はやったかな。駅を降りたら、お客さんが窓を開けて手を振りながら歓声を送ってくれるんだ。

――すごい! 高校時代は、得意なスキーで国体に出場していたとか。

清水 そう。全国から選手を集めた強化練習があって。宿泊先の山荘で清水アキラショーが始まるわけだ。ある選手が斜面で転んだときの様子をスローモーションでやると大ウケ。笠谷幸生さん(1972年、札幌冬季オリンピックの金メダリスト)のジャンプを手でズボンをなびかせながら実況つきで披露してね、最後は「どうやって降りようかな」と傘を広げるポーズをして「傘や!」とオチをつける。

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