■李牧…半年がかりで秦軍を誘導! 宜安の戦いで見せた完璧すぎる包囲戦

 鄴を攻略した秦軍の次なる目標は、趙の王都・邯鄲(かんたん)であった。しかし、李牧は邯鄲の南に防壁となる長城を築いており、侵攻は困難を極めた。そこで王翦は、北の宜安を攻める策を進言。昌平君もこれに賛同し、秦北東部軍20万が加わる大きな作戦に出る。

 だが、李牧はこの動きを完全に読んでいた。まず、邯鄲を迂回して西にある閼与(あつよ)を攻めた王翦軍に対し、桓騎軍に虐殺された遺族の兵や扈輒軍の残党を配置。秦軍に対する恨みを力に変えた決死の防衛により、王翦軍は想定していた3倍もの死傷者を出して足止めされてしまう。

 そこで王翦は自軍を閼与に残して、桓騎軍や飛信隊などを北上させ、北東部軍との合流を指示した。だが、この北東部軍の動きすら、李牧は半年前から予測し対策していた。

 趙北部の狼孟軍へ青歌軍の第一将カン・サロら精鋭を派遣して軍を強化。進軍してきた北東部軍の中団を奇襲させたのだ。そのうえ、李牧の策は巧妙だった。秦が宜安攻略を諦めない程度に、あえて先頭を進んでいた5万の兵だけを通過させ、桓騎軍と合流させたのである。

 合流したのは総勢14万人の大軍だったが、当初の計画からは半分以下となっていた。蒙恬たちは周辺の趙軍をかき集めてもほぼ同数と推測し、宜安攻めの続行を決断する。

 ところが、それこそが李牧の仕掛けた罠の最終段階だった。宜安では30万を超える大軍が秦軍を包囲し、圧倒的な兵力差で崩壊させたのである。

 長城による南進阻止、王翦軍の足止め、そして北東部軍の誘導。戦う前から何手も先を読む李牧の知略は、敵ながら圧巻の一言だった。

 

 紹介した3つの戦いは、いずれも開戦前に勝敗が決まったといっても過言ではない。王翦、桓騎、李牧、それぞれの策士たちが相手の思考のさらに上を行く知略を見せつけた。

 猛将同士の一騎討ちの戦いも面白いが、彼らのような天才策士たちによる頭脳戦も、本作に深みをもたらす大きな理由といえるだろう。

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