「カルチャーは引用の歴史である」江口寿史と樋口毅宏、“引用と継承”をめぐる対話の画像
樋口毅宏(左)、江口寿史(右) 撮影/イシワタフミアキ

 樋口毅宏さんの新刊『なぜ本を読むのか、なぜ映画を観るのか、なぜ音楽を聴くのか――100年後、カルチャーの参考資料になる本』(POST)の刊行を記念した、装画を手がけた江口寿史さんとの対談。全3回の最終回をお届けする。

 前回まで、江口さんは「トレース問題」で失ったものと、ふたたび漫画家として歩き出そうとする現在地を語ってきた。最終回のテーマは「カルチャーにおける引用」だ。『すすめ!!パイレーツ』に膨大な引用を詰め込んだ江口さんと、その洗礼を受けて作家になった樋口さん。二人が好きなフリッパーズ・ギターも含めて、カルチャーのあらゆる表現が「誰かの影響」の上に成り立っていることを縦横無尽に語り合う。創作に不可欠な“参照”という営みを、文化の大きな流れのなかに置き直す対話である。

【第3回/全3回】

第1回はこちら

■『ヘッド博士の世界塔』も今はダメ。でも2人が好きな理由

樋口 また引用とかパクリの話に戻って恐縮なんですが、僕が今回の騒動で一応作家を名乗ってる立場から感じたのは、「ミュージシャンはずるい」ということなんです。「すべての芸術は音楽に嫉妬する」という格言の通りですよ!
 まず大それた名前を出しますけど、大瀧詠一の『ロンバケ』(A LONG VACATION)です。あれはすべて、それまで大瀧詠一が聞いてきたオールディーズに違う歌詞が乗ってるアルバムじゃないですか。でも音楽だと許されるんですよ。
 その後の佐野元春なり、小沢健二なりも同じです。小沢健二の『LIFE』も当時はOKでした。「あ、ロンバケのブラックミュージック版を作るんだ」と思いましたし、「その方法論を使った自分の発明」という考えが彼にもあったんでしょうけど、あれも小説や漫画でやったらNGだし、建築や絵画でもダメだと思うんですよ。
 だから僕は本当に音楽が羨ましいんです! ああやって自分が影響を受けたものをそのまんま出した作品を発表できる。歳月が経過しても時代に合わせてバージョンアップして、ライブでファンと一緒に分かち合えるんですから。
 昔に先生の漫画で、漫画家が国立競技場のような場所でライブで漫画を描く話がありましたよね。それでアンコールで同じ漫画を描いたら「前のと同じじゃねえか!」って怒られてオチになるっていう。小説も漫画も、紙に載る作品はそう言われるのに、音楽は何回繰り返してもOKなんですよ。

江口 でも『ヘッド博士の世界塔』(フリッパーズ・ギターの1991年のアルバム)は今の時代だともう出せないわけじゃない? あれは本当のパッチワークだから、そこが『ロンバケ』や『LIFE』とは違いますよね。『LIFE』は小沢健二を一度通した作品といえるけど、『ヘッド博士の世界塔』はダメという。

樋口 僕は『ヘッド博士』、大好きなんです。

江口 僕も大好きですよ。

樋口 僕の中では『ロンバケ』を超えてるし、日本のポップミュージック史上1位のアルバムは何かって聞かれたら『ヘッド博士の世界塔』ですね。今、あんな感じで「どんな音楽を切り貼りして全然オッケーだから、好きなもの作ってみ」って言われても……

江口 できないよねぇ。

樋口 あんなすごいこと、絶対できない。本当に小山田と小沢の最終作品ですよ!

江口 『犬は吠えるが、キャラバンは進む』もイントロそのものが元ネタそのまんまのもあるんだけど、「盗人だ」とは思わなくて。むしろ元ネタ探しが楽しいという感覚だったけど、そういう楽しみは今はないんだろうね。

樋口 それも絵のほうは許されないんですよ。「そのまんまじゃねえか!」みたいに言われるから。「いやいやいや、描いてるんだよ。ハサミで切り取って貼ったわけじゃないんだよ」って言いたいんだけど、それが伝わらない。

江口 漫画でも、他人の過去の名作や自分の昔の漫画を今の手法でセルフカバーするのはアリだと思いますけどね。

樋口 板垣恵介さんが、『グラップラー刃牙』の第1話をセルフリメイクしたことはありましたよね。技術力が磨かれた今の板垣さんのアップデートされた絵も良かったんですけど、「昔のこの絵だから良かったんだよなぁ」と感じる部分もあったんです。江口先生のパイレーツも描くあいだに進化していったじゃないですか。

江口 まあね、そういう所も確かにあるので良し悪しなんですけどね。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4