■盗作に厳しい「作家」の立場から考えたこと
樋口 僕はこの『フリースタイル』も出た時に読ませてもらいました。著作権や引用、肖像権のことや、ウォーホルやリキテンスタインなどの“元ネタ”のあるアートの歴史など、話としては理解できました。でも正直に言うと、すべてを水を飲むように納得できたかというと、違う部分もあって。それは何でかなと考えたら、江口先生のような漫画家と、まがりなりにも「作家」と名乗っている人間の違いなのかと思いました。
小説では盗作の疑いのある行為には、すごく厳しい態度が取られるんです。過去に、業界から追放された例もあります。ただ、文章の難しいところは、例えば「恥の多い生涯を送ってきました」と一行目に書いたら、多くの人は「ああ、太宰の『人間失格』のパロディね」と思うけど、本を読んでいない人のなかには「お前、これまんま盗作じゃねえか」と本気で言って騒ぎ立てる人もいるんです。
僕もそれを分かっていたので、今まで自分の小説の奥付では、「全然こんなの関係ねえだろ」と思われそうなものまで含めて、オマージュ、影響、引用、パクリ一覧を晒してきました。これは悪趣味なところもあるんですけどね。
あと文章の世界は、出版までのチェックも厳格です。「この本にはこんなことが書いてあった」と自分の記憶で書くと、校正している方から「正確にはこう書いてあります」と指摘が入ります。「俺の頭の中でアレンジしてるし、こっちのほうが面白いから、これでいいんですよ」と伝えても、「いや、正確に引用してくれないと困ります」と言われる。こういうやりとりを何度やってきたか分かりません。
■「写真を参考に描くこと」と盗作の違い…漫画の引用、パロディの違い
江口 今の話を受けて、ここは違いを明確にしておきたいんですが、僕が「トレパク」と非難されたイラストは、人の作品をそのままパクったわけじゃないんですよ。また、そうしたイラストの描き方の話と、漫画の中で人の作品のパロディをすることも全く違います。
僕の漫画ではつげさん(つげ義春さん)をはじめ、人の作品をギャグとして引用してきました。それ以外にも、「これは有名な漫画のパロディですよ」という意識で漫画を描いたことは何度もあります。一方で、「全く知られていない作品から、このコマだけもらおう」なんてことは一切していません。イラストを描くときも、作品として世に出ている写真家の写真をそのまま使うことも絶対にありませんでした。
樋口 「雑誌のファッション写真」と「作品である写真集の写真」の扱いの違いについては、『フリースタイル』でも話されてましたよね。
江口 そこら辺の線引きは、自分のなかでも以前からあったんです。あと僕はイラストを描くときは基本的に「実物」や「自分で撮った写真」を見ながら描いています。たとえばコーラを描くときは、コーラを買ってきて描くんです。変に名前を変えた「なんとかコーラ」みたいな飲み物にしたくないのもあるんですけど。
吉祥寺の商店街『サンロード』のフラッグに、女の子のイラストをたくさん描いたときは、雑誌の写真を資料にして描きましたが、それも「ファッション雑誌に出ているような女の子のイラストが一つずつフラッグになって街にたなびいていたら楽しいな」という発想が先にあってのことです。僕にとってイラストのイメージに似た写真を探す行為は、外で人や景色を見ながら絵を描くのと同じ感覚だったんです。その行為に全く罪悪感がなかったんです。
つまり全く無自覚に、悪いと思わずにやってきたことを今すごく断罪されているわけで、時代が変わったことの意識は持つべきでした。そうであれば「今後は一切雑誌の写真は使わずに、自分で撮った写真だけを使います」となるだけで、僕の絵の描き方はこの先も変わらないと思いますよ。
樋口 そうだと思います。いろんな人がSNSで「自分も写真をなぞったら江口寿史っぽく描けたぞ」と見せてましたけど、「ぜんぜん違うな」と思いながら見ていました。


