2026年5月28日に新刊『なぜ本を読むのか、なぜ映画を観るのか、なぜ音楽を聴くのか――100年後、カルチャーの参考資料になる本』(POST)を刊行した作家の樋口毅宏さん。その発売を記念して、装画を手がけた漫画家・イラストレーターの江口寿史さんとの対談を全3回でお送りする。
対談は、昨年に大きなニュースとなった江口さんの「トレース問題」の話題から始まっているが、この記事の狙いは、この騒動を蒸し返すことではない。江口作品に多大な影響を受けてきた樋口さんとの対話を通じて、その創作の背景を紐解きながら、江口さんがあの出来事を通じて何を考え、何を反省し、何を失ったのか。さらにその先で、何をしていきたいと考えているのか――を伝えていきたい。
なお本対談は全3回に分けてお届けするが、全体でひと続きの対話である。ぜひ最初から最後まで、通してお読みいただきたい。
【第1回/全3回】
■「パイレーツ」のパロディ・オマージュから受けた影響
江口 新刊の売れ行きは好調ですか?
樋口 どうでしょう。Amazonでは品切れになっているようですが。僕の本の表紙を江口先生に描いていただいたのは3年ぶりですが、表紙ともどもX(旧Twitter)で発表したら、大きな反響がありまして。
江口 僕がカバーを描いたことでネガテイブな声もありましたね。僕はすべての意見を見たいので、樋口さんのXの投稿に集まるコメントもチェックしてるんですよ。
樋口 見なくていいのに!(苦笑) まず、僕がなぜ江口寿史を信頼し続けているかというと、小学生のときに『すすめ!!パイレーツ』を読んで、そこで展開されるパロディやオマージュの洗礼を受けてきたからです。
あの漫画では、野球選手の長嶋(茂雄)さん、王(貞治)さん、広岡(達朗)さんだけでなく、世の中のあらゆるものが実名で出てきます。同じように実名が出てくる『プロレススーパースター列伝』は全コマが捏造ですけど(笑)、「どの部分がパロディで、どこからどこまでを“オマージュ”と呼べるのかは、作品によっても作家の人間性によっても違うんだな」と、子どものうちから知らず知らずのうちに学んできた気がします。
江口 それは僕も同じですよ。僕が影響を受けてきたものが、全部そういうものだったんで。その点でいうと、僕のイラストについて「雑誌の写真をトレースして描いているだけ」と言ってくる人とは、その「トレース」の理解の仕方も全く違うので、議論はできないなという感じです。
樋口 素材を選ぶ行為には「チョイスする側のセンス」も問われているのに、「写真をなぞっているだけ」と正義の糾弾をしている人は、無知をさらけ出していると感じますね。そういう人には『フリースタイルvol.67』の記事を読んでほしいですが、Xの140文字の文章さえ読めない人には理解できないでしょうね。
■炎上後の展示では自分の作品だけ「隠し部屋」に
江口 確かに僕はここ10年ほどイラストの仕事を多く受け過ぎて、馴れ過ぎて無防備になっていたところがありました。「このコマにこういうポーズが欲しい」となったときに、雑誌から参考資料になるものを探すのは、漫画業界では僕らが若い頃から普通にやられていたことです。それと、雑誌の写真を参考にする場合も、写真を下に敷いてなぞってるわけじゃないんですよ。ただなぞって描いても自分の絵にはなりませんし。ただそういう昔からの常識や慣例の規範も時代によって変わるんだということに無頓着だったという反省は強くありますね。
本当に疲弊しました。去年の10月初めに炎上したんですけど、それから新規のイラストの仕事は全部なくなりましたからね。広告業界ってイメージ重視だから、今は江口寿史は使っちゃいけない存在なんですよ。それでも「まだ待っています」と言ってくれる人もいますけど、当分は広告のイラストの依頼はないと思います。でも僕を叩いてきた人は、それで気が済むかというと、まだ気が済まないんだよね。正義中毒のような感じで、社会から消えるまで満足しない。今は別の芸能人か誰かに同じようなことをしてるんでしょう。
樋口 SNSで一番炎上するもののひとつが、女性の芸能人の不倫でしょうね。とりあえずすべての役を降ろさせて、謹慎させるまで気がすまない。復帰すると「え、復帰するのか」「この番組に出させるなんておかしい、スポンサーにクレームを言いに行こう」と進んでいく。
江口 実際に電話やメールが企業にくるみたいですね。
樋口 江口先生もあったんですか?
江口 ありましたよ。炎上の直後、というか最中に、とある百貨店の画廊で漫画家の作品を集めた展示があって、僕も出品を頼まれていたんですけど、「炎上の後だからやめたほうがいいんじゃないですか?」といったんはお断りしたんだけど、画廊の現場の方々は「私たちは気にしません」と言ってくれ、頑張ってくれました。
でも開催直前に「江口寿史は人の作品をトレースしてる盗っ人だ。そんな犯罪者の絵を展示するのか」という執拗な抗議が百貨店にあったようなんです。それで百貨店の上層部は慌てて、江口作品の出品は中止しなさいとなったんだけど、画廊の現場は抵抗して、僕の絵だけ隠し部屋で展示をするという形になった。会場で「江口寿史の絵を見たい」って言った人にだけ見せていたらしいです。どれだけやばいブツなんですか、おれの絵は(笑)。
樋口 出自がギャグ漫画家の江口先生ですけど、現実がブラックジョークになるようなところまできていたんですね! しかし、すごい営業妨害ですね。
江口 弁護士に聞いたら「それは警察に相談していいレベル」と言っていました。もっとも警察もその程度だと対応してくれないでしょうけど。


