1973年から『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)にて連載された、手塚治虫さんによる医療漫画の金字塔『ブラック・ジャック』。 天才的な外科手術の腕を持つ無免許医のブラック・ジャック(以下B・J)が多くの患者を救う姿を描き、感動的なエピソードが数多く登場する。
しかし、その中には、彼の神業的なメスをもってしても命を救えない、あるいは救ったはずの命が理不尽に散ってしまう「救いのないバッドエンド」も存在するのだ。
そこで今回は、登場人物の誰もが間違っていないのに、あまりにも切ない結末を迎えてしまう悲劇的なエピソードを紹介したい。
※本記事には作品の内容を含みます
■海の友を見捨てざるを得なかったB・Jの苦悩と切なすぎる別れ「シャチの詩」
『ブラック・ジャック』には動物との交流を描いた名エピソードも多い。中でも特に涙を誘うのが、B・Jと海の友との悲しい別離を描いた「シャチの詩」だ。
B・Jが開院して間もない頃、彼は孤独で話し合える友人もおらず、彼の容姿を気味悪がって患者もなかなか来なかった。そのような時、B・Jは入り江に打ち上げられていた傷だらけのシャチを見つけ、初めての患者として特別サービスで治療を施す。するとシャチは、お礼として真珠やサンゴ、古い金貨などを運んでくるようになった。B・Jから「トリトン」と名付けられたシャチと彼は、いつしか種族を越えた友情で結ばれる。
しかし、トリトンは漁場荒らしで有名なシャチだった。大海に帰るよう諭すB・Jだったが、ついにトリトンは船を襲い、3人の子どもの命を奪ってしまう。
その後、トリトンは町民によるシャチ狩りに遭い、瀕死の重傷を負って入り江に逃げ込んできた。しかし、B・Jは人間の敵となったトリトンに対し、“今度ばかりは治せない”と心を鬼にして拒絶する。それでもトリトンは、B・Jに治療してもらおうと血まみれになりながら贈り物を運び続け、ついには真珠をくわえたまま息絶えてしまうのだった。
もしトリトンが人間であったなら、2人はずっと友達でいられたのだろうか。友情と人間社会のルールの間で引き裂かれるB・Jの苦悩と、ただ助けてほしい一心で贈り物を運び続けるトリトンの健気さが、あまりにも切なく胸を締め付けるエピソードである。
■家族を守ろうとした野生動物と人間の残酷なすれ違い「戦場ガ原のゴリベエ」
「戦場ガ原のゴリベエ」もまた、人間の都合と野生動物の悲しいすれ違いを描いた、後味の悪いエピソードだ。
戦場ガ原には、人間を襲う「ゴリベエ」と呼ばれる猿がいた。ある日、ピクニックに来ていた母子がゴリベエに襲われ、牛乳を奪われたあげく子どもが指を食いちぎられてしまう。偶然通りかかったB・Jは、法外な手術料を請求しながらも子どもの指を縫合した。
その後、ゴリベエを執拗に仕留めようとする猟師にB・Jも同行する。落雷の隙をついて現れたゴリベエに対し、B・Jは咄嗟にメスを投げつけ傷を負わせた。そして、血痕を追跡し、ゴリベエがいた洞窟へと足を踏み入れる。
そこでB・Jが目にしたのは、すでに息絶えたメス猿と、痩せ細った2匹の子猿の姿だった。ゴリベエが人間を襲っていたのは、自らの子どもたちに牛乳を飲ませて生かすための行動だったのである。
事情を悟ったB・Jはゴリベエに治療を施してその場を去る。すると後日、B・Jの前にゴリベエがひょっこりと姿を現し、彼が洞窟に忘れていったメスを届けに来てくれた。B・Jが感謝したのも束の間、同行していた猟師がゴリベエを無情にも撃ち殺してしまうのだった。
人間の視点から見ればゴリベエは危険な害獣に過ぎないが、ゴリベエにとっては家族を守るための必死の戦いであった。このエピソードは、B・Jが猟師に対し「クソッタレめ!!」と叫ぶシーンで終わる。
動物の純粋な心と人間の理不尽さが交差する残酷な結末には、怒りとやりきれなさが込み上げてくる。


