■孫たちへ引き継がれてしまった戦いの輪廻『五星戦隊ダイレンジャー』

 最後は、シリーズ第17作、1993年から放送の『五星戦隊ダイレンジャー』だ。本作は、道士・嘉挧(かく)の元に集まった「気力」を操る5人の若者たちと、「妖力」を使って帝国独裁を目論むゴーマ族との戦いを描いた物語である。

 本格的な中国武術を駆使したアクションで絶大な人気を博したが、その結末は「正義の勝利」という概念を根底から揺るがす極めて異色なものだった。

 最終話となった「行くぞォォッ」の回では、亮(リュウレンジャー)が挑んだゴーマ族幹部・シャダム中佐との最終決戦の決着が描かれる。そこで突きつけられたのは、これまで激闘を演じた敵幹部たちが、実は泥人形でしかなかったという驚愕の事実だった。あろうことか、シャダム自身もまた、亮の目の前で崩れ落ちて土に還る泥人形に過ぎなかったのである。この異様な光景は、当時の子どもたちにトラウマを植えつけるほどの強いインパクトを与えた。

 だが、真の衝撃はここからだ。場面は一転して、戦いから50年後の世界へ。平和になったはずの街に、再びゴーマの怪人が姿を現す。

 かつての戦士たちはみんな老い、白髪頭で杖をつき、すでに一線を退いていた。そこへ集結したのは、彼らの孫世代にあたる若者たちであった。祖父母と瓜二つの彼らが新世代のダイレンジャーとして変身し、新たな戦いの火蓋が切って落とされたところで、物語は幕を閉じるのである。

 ここで思い出されるのが、道士・嘉挧が遺した言葉「妖力が滅べば気力も滅び、気力が残れば妖力も残る」という言葉である。本作が示したのは、善と悪は光と影のように表裏一体で共存し続けるという、東洋的な「輪廻」の考え方だった。

 亮たちが命をかけてつかみ取った平和さえも、長い歴史の中では束の間の休息に過ぎず、戦いは永遠に繰り返される。本作は「正義とは、そして悪とは何か」という根源的な問いを視聴者に投げかける最終回となっていた。

 

 今回振り返った3作品の結末は、どれも「勝利=ハッピーエンド」というヒーロー番組の定石では語りきれない、重く切ない余韻を残すものばかりであった。

 そして今、50年にわたり紡がれてきた「スーパー戦隊シリーズ」の歴史が、大きな節目を迎えようとしている。この半世紀の集大成となる作品が、どのような結末を描き出すのかは、まだ誰にも分からない。

 しかし、今回紹介した不朽の名作が示したように、たとえそれが苦い幕切れであったとしても、そこには戦士たちが命をかけて守り抜いた「証」が必ず刻まれているはずだ。その最後の1秒まで、彼らの戦いを見届けたい。

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