1984年から1995年にかけて『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載された、鳥山明さんのバトル漫画の金字塔『ドラゴンボール』。
本作の主人公・孫悟空は、強敵と戦うことに喜びを感じる戦闘民族サイヤ人だ。敵が強ければ強いほどうれしそうに笑みを浮かべ、苦境に立たされても「オラ わくわくすっぞ」と口にするほどである。しかし、そんな悟空がほんのわずかに「恐怖」をあらわにした瞬間があるのをご存じだろうか。
今回は、悟空が恐怖を覚えた象徴的な戦いを振り返ってみよう。その恐怖は、彼にどんな影響をもたらしたのだろうか。
※本記事には作品の内容を含みます
■初めて“死”を突きつけられた悟空の恐怖
悟空が物語の中で初めて明確な恐怖の感情をのぞかせたのが、ピッコロ大魔王との戦いだろう。
腕の立つ武道家が次々と命を落とし、親友であるクリリンまで殺されてしまう。少年だった悟空は、初めて“敵を倒さなければ世界が滅亡する”という状況に置かれた。
しかし、それ以上に悟空を絶望させたのは、ピッコロ大魔王との圧倒的な実力差であった。
戦いの序盤、悟空は先手を取ることに成功するも、マントを脱ぎ捨て、本気になったピッコロ大魔王の重たい蹴りと空中パンチをまともに受けた悟空は、たった2発でフラフラに。
「た…たまげた…あいつ…つ…つええなんてもんじゃねえ… スピードも パワーもオ…オラとはくらべもんに ならねえ……」このセリフからは、悟空が初めて感じたであろう絶望に近い心情が伝わってくる。
だが、それでも悟空は諦めない。渾身の力を込めたかめはめ波を、見事直撃させるのだ。しかし、ピッコロ大魔王は「いまなにかしたのか?」と、あざ笑うのみ。自身にとっての最強の技が全く通用しなかった事実に、悟空の顔には明らかな怯えと恐怖の色が浮かんだ。
その直後、ピッコロ大魔王が放った気功波が直撃。これにより悟空の心臓は停止し、物語上、初めての「死」を迎えることとなる。
幸いにも、驚異的な生命力によって心臓は再び鼓動を取り戻すのだが、ピッコロ大魔王の圧倒的なパワーと残虐性は、彼に「死」の恐怖を否応なく突きつけた。
のちの強敵との戦いとは異なり、この戦いは悟空が初めて本能的に敗北を認めかけた瞬間だった。彼の成長の原点となる“特別な恐怖体験”として、記憶されているのである。
■実兄がもたらした「未知なる恐怖」
悟空が再び恐怖を覚えた戦いが、実兄・ラディッツとの遭遇である。突如地球に飛来したこの正体不明の男は、ピッコロ大魔王すら凌駕する戦闘力を誇っていた。しかし、それ以上に悟空を動揺させたのは、ラディッツが自身を「兄」だと名乗った事実である。
「クリリン!!! ちかよるなっ!!!!」ラディッツが姿を現した瞬間、悟空は珍しく緊迫した表情でクリリンに対して、そう叫んだ。いつもなら強敵を前にしても気負うことのない悟空が、仲間の身を案じて声を荒げるのは珍しい。
その表情からはラディッツの底知れない「気」に対する純粋な“怯え”が見て取れる。さらに「こうやって向かいあってるだけでも正直いってこわいぐらいだ…… こんなことはじめてだ…」と、冷や汗をかく様子も見せた。
その直後、悟空の不安は現実のものとなる。ラディッツは悟空を一撃で沈め、さらには悟空の息子・孫悟飯を人質に取り、地球への侵略を宣言したのだ。
悟空が追い詰められた理由は、単なる戦闘力の差だけではないだろう。自身の出生の秘密、すなわち「戦闘民族サイヤ人・カカロット」としての自分と向き合わねばならなくなった精神的な混乱も大きかったように見える。
この戦いにおいて、悟空は初めて“自分1人では勝てない”という現実を受け入れ、宿敵であったピッコロとの共闘を選ぶこととなる。悟空の価値観が大きく揺らいだ象徴的なエピソードであり、その根底には、計り知れない恐怖と動揺があったのだろう。


