劇場版『チェンソーマン レゼ篇』の主題歌である米津玄師『IRIS OUT』が、オリコンの週間ストリーミングランキングで10週連続1位を記録した(2025年12月1日付)。こうして今日では、第一線のJ-POPミュージシャンがアニソンを歌い、それがメガヒットするという現象が当たり前のように起きている。
しかし、その昔、アニソンは一般のポピュラーソングとは別物として捉えられていた。多くを水木一郎、堀江美都子、大杉久美子、前川陽子といった専業、またはそれに近いシンガーが歌い、認知度は高くてもヒットチャートのトップ10とはほぼ無縁だった。
サブスクの普及によって、若年層にもシティ・ポップや昭和のアイドルソングが掘り起こされ尽くした今、今度は昭和アニソンの再評価運動が高まりつつある。
12月5日(金)には、東京・渋谷のLOFT9 Shibuyaで『昭和アニソン大合唱 vol.1』という新感覚イベントも開催される。これは70年代のアニソンの数々を、着席して飲食しながら、映像やDJが回す当時モノのレコードに合わせて歌おうというもの。現役アイドルである新井ひとみ(東京女子流)も参加するなど、世代を超えたコミュニケーションの場を目指している。
そんな高まりを念頭に、「人気のシンガーやミュージシャンがアニソンを歌い、それが“ヒット曲”として認知されるようになった流れには、どんなルーツがあるのだろうか」というテーマについて、主だった例を追いながら考えてみたい。
■レコ大歌手が『宇宙戦艦ヤマト』完全新作の主題歌を
歴史は1970年代にさかのぼる。この時代には、1970年に『あしたのジョー』(フジテレビ系)の主題歌を尾藤イサオが、1975年に『みつばちマーヤの冒険』(NET系/現:テレビ朝日系)の主題歌を水前寺清子が「チータとみつばち合唱団」名義で歌うといった例はあった。
また、1972年に放送された手塚治虫原作の『海のトリトン』(TBS系)は途中からオープニング曲となった『GO GO トリトン』の人気が高いが、初期オープニング曲をのちに『神田川』で大ブレイクするフォークグループが、女性ボーカルとともに「須藤リカ、南こうせつとかぐや姫」という名義で歌っていた。
だが、それらが1つのうねりになることもなく、そもそもヒットチャート上位に入ることもなかった。では、「うねり」になったのはいつなのか。それは、子どものものだと認識されていたアニメが、大学生ぐらいまでの年齢層も巻き込んだサブカルチャーとして広がってからである。
1974年にスタートした『宇宙戦艦ヤマト』は、テレビ本放送では視聴率的に振るわなかったものの、再放送で中高生~大学生の支持を集め、1977年の劇場版(テレビシリーズの総集編)の大ヒットをきっかけに一大ブームへと発展した。
そして、1978年8月に完全新作の劇場版『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が公開される。その主題歌を歌ったのは、前年に『勝手にしやがれ』で日本レコード大賞を受賞した沢田研二だった。タイトルは『ヤマトより愛をこめて』。1978年8月に、“ジュリーの新曲”として発売されたこの曲は、オリコン最高4位(以下、順位は週間シングルチャート)を記録した。
これは、アニソンを専業としない歌手が歌ったアニメ映画主題歌として、一般のヒットチャート上位に食い込んだ最初期の例だと考えられる。ちなみに、ささきいさおが歌うテレビシリーズの主題歌は認知度も高いが、オリコン最高位は14位。当時のアニソンとしては大ヒットといえるが、トップ10には届かなかった。
■ゴダイゴ『銀河鉄道999』はアニソンを超えたヒットに
『宇宙戦艦ヤマト』ブームの流れから、1978年9月よりフジテレビ系列で、松本零士原作のアニメ『銀河鉄道999』がスタートした。その主題歌はヤマトに倣い、ささきいさおが担当したが、翌年夏の劇場版『銀河鉄道999』では、主題歌を人気絶頂のバンド、ゴダイゴが歌った。この『銀河鉄道999(The Galaxy Express 999)』はオリコン最高2位。『ザ・ベストテン』(TBS系)では1位を連続獲得するなど、広くお茶の間に浸透する曲となった。
ジュリーとゴダイゴ以降、非アニソン歌手がアニソンを歌う例は少しずつ増えていく。『宇宙戦艦ヤマト』関連曲を島倉千代子、布施明、岩崎宏美らが歌った。これらはトップ10入りのヒットにはならなかったが、布施明は1980年の『NHK紅白歌合戦』で映画『ヤマトよ永遠に』の主題歌『愛よその日まで』を歌っている。これは『紅白』で歌われた初めての日本のアニソンだとされている。


