■ティーンエイジャーの疎外感と逃避『エスケープ』
1986年の『りぼん』5月号に掲載された『エスケープ』は、思春期の少年少女が日常で感じる疎外感と逃避願望を主題とした作品だ。
主人公は中学2年生・佐藤薫。靴下の色で先生に怒られ、大切なポスターを捨てた姉と喧嘩し、挙げ句の果てには怖い先輩に髪を切られるなど、ツイていない出来事が続く。そして何より薫をイライラさせていたのは、自分が想いを寄せるいとこの暮林善司郎に彼女がいたという事実だった。
ある日、善司郎は薫に自分の部屋の鍵を渡して留守番を頼むが、そこに彼女の庄子が帰って来てしまう。大人で余裕のある庄子の態度に恥ずかしくなった薫は、その場から逃げ出してしまう。
こうして薫の苦悩は、家庭、学校、恋愛といった日常の些細な軋みによって膨らんでいく。そしてついに彼女はタイトルが示す通り、“現実から逃避”するように、家を飛び出してしまうのだ。
主人公が抱える孤独や、特定の誰かに心のよりどころを求める姿は、後の代表作『NANAーナナー』にも通じるテーマだろう。たとえば、大崎ナナが音楽に、小松奈々が特定の男性関係に深く依存する構図と重なる部分があるようにも思える。
初期作品における“居場所の喪失”と“心のよりどころ”というテーマは、その後の矢沢作品のヒット作にもつながっているのだろう。
■王道ラブコメと甘酸っぱい葛藤『ふたりのシーサイドパーク』
1989年『りぼんオリジナル』早春の号に掲載された『ふたりのシーサイドパーク』は“自分の初デートは観覧車に乗りたい”と夢見るヒロインの話だ。
中学2年生の主人公・琴子は、容姿端麗な転校生・東に恋をしている。ただその一方で、琴子には悪友の沢村憂二もおり、2人は顔を合わせれば喧嘩ばかりしていた。だが、そんな中、憂二に思いを寄せる1年生の美少女が現れたことで、琴子の心はなぜか揺れ動くのであった。
本作では、体育の授業で倒れた琴子を憂二が抱きかかえて運んだり、琴子が憂二に対して泣きながら「大っきらい!!」と叫んだりと、昭和少女漫画の王道シーンがたくさん散りばめられており、読むだけでノスタルジックな気持ちになれる。
さらに、東と憂二が本気で喧嘩をするシーンでは、琴子は“あたしのために…もうやめてえ!”と憂二の胸に飛び込んでいる。女子なら一度は経験してみたいと思うような、甘いシチュエーションも満載なのだ。
物語のラストは読者の予想通りかもしれないが、王道ラブストーリーも矢沢氏の描く繊細な絵と複雑な乙女心の描写により、時代を超えて楽しめる新鮮な作品となっている。
矢沢氏のブレイク前の作品を振り返ると、後の大ヒット作を生み出す才能の源泉が見えてくる。親友への複雑な想いや居場所の探求といった、思春期の少女が抱えるリアルな心情が、すでに初期の段階から深く描かれていることに驚いてしまう。
現在、矢沢氏は長期休載中で新作は発表されていないが、またいつの日か、読者を夢中にさせてくれる唯一無二の恋愛ストーリーが届けられることを多くのファンが待ち望んでいるだろう。


