「逃げる」という言葉には、どこか“負け”や“弱さ”といった否定的なイメージがつきまとう。戦いに挑まず、敵に背を向け、戦わずして去る——そんな姿を“敗者”と呼びたくなるのも、無理はないかもしれない。
だが、バトル漫画の世界では、逃げるという行動が、時として新たな可能性を切り開くきっかけとなることがある。死地から離れることで、仲間を、そして己を守り、未来へと繋ぐ道を見出す。それは、真正面からぶつかるよりもはるかに困難で、勇気のいる選択だろう。
今回は、そんな“逃げる”中にこそ真の強さを見出し、戦力的な撤退で活路を切り開いたキャラクターを紹介しよう。
※本記事には各作品の内容を含みます
■「逃げるんだよォ!」は、恐怖ではなく戦略だった『ジョジョの奇妙な冒険』ジョセフ・ジョースター
「逃げるんだよォ!」この名言こそ、“逃げながら勝つ男”、ジョセフ・ジョースターを象徴する一言だ。
1987年から1989年にかけて連載された、荒木飛呂彦さんの『ジョジョの奇妙な冒険 第2部 戦闘潮流』序盤で、吸血鬼と化したストレイツォと対峙したジョセフ。手榴弾を爆発させ体をバラバラにしたのにもかかわらず、あっという間に肉体が再生していく様子を目の当たりにし、即座に“勝てない”と判断する。
しかし、ジョセフの真価が発揮されるのはここからである。彼は全力で逃走しながらもストレイツォの能力を観察し、弱点を探っていた。そして、ストレイツォの眼球から繰り出される“空裂眼刺驚”を波紋をまとった小さなコップで受け止め、跳ね返すという奇策を用いて大逆転を収める。
パニックに陥ることなく、冷静に逃げながら考え、得意のハッタリと巧妙な罠を駆使して活路を見出す。この一連の流れが、まさにジョセフ流の戦い方なのである。
それは決して臆病ではなく、あくまで生き延びて勝つための知恵と機転の表れだ。「逃げる」という行為に戦略とユーモアを込めたジョセフは、『ジョジョ』シリーズの中でも異彩を放つ存在だ。彼は、“勇気ある撤退”を美学に変えた“逃げの達人”と言えるだろう。
■冷静に逃げるという最強の判断力『HUNTER×HUNTER』キルア=ゾルディック
1998年から連載されている冨樫義博さんの『HUNTER×HUNTER』において、キルアほど“逃げる”という選択を正しく使いこなしたキャラはいないだろう。彼の逃げは恐怖心からくるものではなく、暗殺者として培われた理性と判断力に裏打ちされた生存戦術であった。
特に印象的なのが、「ヨークシンシティ編」での幻影旅団・ノブナガとの対峙、そして「キメラ=アント編」でのネフェルピトー(以下ピトー)遭遇時という2つの場面だ。
ヨークシンシティ編でノブナガ=ハザマと対峙したキルアは、“自分の間合いに入ったら斬る”という警告を受けながらも慎重に間合いを探りつつ、自分の怪我の状態や相手の反応速度や冷静に分析。
そして、現状では勝ち目がないと判断すると、即座に戦闘を放棄し、撤退を選ぶことを判断するのである。これは、兄・イルミ=ゾルディックに埋め込まれた針による“逃げの暗示”ではなく、親友であるゴン=フリークスを危険にさらさないための、自身の意志によるものだった。これこそ、キルアの冷静さと合理性を象徴するシーンである。
そして、キメラ=アント編では、その判断力がさらに際立つ。
王直属護衛軍の1人・ピトーとの遭遇時、同行していたカイトがピトーと戦う覚悟を決めたことを瞬時に理解したキルアは、“この場にゴンがいては足手まといになるし、確実に殺される”と即座に見抜き、迷うことなくゴンを殴って気絶させ、その場を離脱。
これは恐怖からの逃走ではなく、戦況を即座に分析した上で命を守るための選択だった。この行動に、キルアの並外れた戦闘センスと、仲間を守り抜くという強い意志が見て取れる。
生き残るために逃げる——それは、彼にとって生存の基本であり、勝利のための大前提だ。だが同時に、この“逃げの合理性”は、のちのラモットとの戦いで“本当の意味で逃げない自分”へと進化していくための重要な伏線となっている。
キルアにとって“逃げる”とは、弱さの証明ではなく、真の強さに至るための不可欠なプロセスだったのだ。


