■後から気付かされるカラ傘浪人のタダ者ではない感…『赤胴鈴之助』

 最後に紹介するのは、武内つなよしさんの漫画を1972年にテレビアニメ化した『赤胴鈴之助』。北辰一刀流千葉周作道場に弟子入りした少年剣士・赤胴鈴之助が、父の形見の赤胴をまとい、幕府転覆を企む鬼面党と戦う物語である。全52話のうち、宮崎監督は2話分の絵コンテを担当した。

 その中から筆者が取り上げるのは、第41話「キリシタンの秘宝」である。

 ある雪の朝、鈴之助は年老いた武士が鬼面党に襲われる場面を目撃。なんとか追い払うことに成功するも、武士はキリシタンの財宝のありかを記した巻物を託し、息絶えてしまった。この巻物をめぐり、鈴之助と鬼面党の戦いがはじまる。

 強敵に対する子どもたちの力不足に不安が募るが、それを一気に覆す存在が、鈴之助の心の師であり年下の友達・大助の父である波野十蔵だ。十蔵はオンボロ長屋で傘張りをなりわいとし、腰に竹光(竹の模造刀)を差す飄々とした浪人である。

 そんな十蔵は鈴之助から巻物を預かるが、土間にボロボロ状態で転がすなどやる気のない態度。挙げ句、鬼面党の罠にはまり家を留守にした隙に巻物は奪われてしまう。

 巻物を取り戻そうと躍起になる鈴之助だが、瞳術を使う強敵に操られピンチに。そこへ十蔵があらわれ、「わしにはあんたの目くらましは効かんよ」とカラ傘一本で敵を退けてしまうのだ。

 結局、巻物を取り戻すことができず意気消沈する鈴之助だったが、十蔵はカラ傘の柄に隠した巻物を出し、実は最初から偽物とすり替えていたと明かす。

 初期から登場する十蔵は、真剣を手にする道場破りをカラ傘でいなすなど、普段の昼行燈ぶりとは裏腹な実力者。このエピソードでも、あえて巻物を放置した上で背を向け呑気に食事をしていたり、無責任にも見えるほど余裕の態度を崩さなかったりと、ちょっとした言動からその格の違いが垣間見える。

 宮崎監督は、十蔵の“タダ者でない感”をさり気ない言葉ややり取りの積み重ねで表現し、後から視聴者に気付かせてくれたのかもしれない。

 

 ひとつの物語を作り上げる劇場アニメに対し、各話ごとに監督、脚本家、絵コンテ、演出が変わることのあるテレビアニメでは、個性が出にくいように思えることもあった。しかし、同じ素材を使いながら料理人によって味付けが異なるように、宮崎監督はいつものメニューに独特の隠し味を加えている。

 連続テレビアニメで、見終わった後にじわじわと隠し味に気づき、別の作品でまたその隠し味に気づく。それこそが宮崎監督の魅力なのだろう。

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