■現実の問題がゲームとリンクした瞬間
ちょうどその頃、日本では「分断」という言葉を強く意識させられる出来事がありました。『デススト』は1作目から「分断」をテーマに掲げており、『2』でもそのテーマは健在。物語を追うごとに、現実社会で起きている問題がどうしても頭をよぎります。
しかし、これまではよその国のお話で、どこか対岸の火事のように感じていた部分もありました。そんな私も、発売直後に迎えることとなった政争を通じて、「これはもう他人事ではない」と痛感することとなりました。
SNSを発端に広がる「分断」。そこにあふれる罵詈雑言は、自分に向けられたものでなくても目にするだけで心を疲弊させます。「見なければいい」と言われればそれまでですが、社会への関心が強い自分にとっては目を背けることもできず、悶々とする日々。
『デススト2』は、あまりにもそんな現実を映しすぎていて、直視することが辛くなってしまったのです。配信をすれば思わず愚痴や強い言葉を口にしてしまいそうで、それが嫌で配信自体もしばらくお休みしていました。
『デススト』の1作目が発売されたのは2019年11月8日。そのときはまだ「コロナ」の「コ」の字も聞かない時期でしたが、半年後には世界が未曾有の危機に陥りました。
作品のテーマやゲーム性がコロナ禍を予見していたかのようだと話題にもなりました。もちろん予想していたわけではないでしょうが、小島監督には「分断」が強まる未来が見えていたのかもしれません。
そして『デススト2』もまた、絶妙なタイミングで世に送り出されました。偶然とはいえ、あまりにタイムリーで驚かされます。
私は人の感情や社会の動きに強く共感してしまう性格なので、センチメンタルな気分が募り、テーマ性の濃い『デススト2』を楽しむ余裕が持てずにいました。
その熱が落ち着いたのは7月下旬。そこからゲームを再開し、8月6日の深夜3時ごろに無事クリアまでたどり着きました。クリア後は、しばらく放心状態となりました。思い出すたびに涙があふれるような状況で、感想投稿をXにあげるのに半日もかかってしまいました。
プレイ中、ずっと気になっていたのは「監督は日本をどんなふうに見つめているのだろうか」ということ。ゲームを通じて監督のメッセージは確かに伝わってきましたが、同時に「監督自身はあの時期、どんなことを思っていたのだろう」と考えずにはいられませんでした。
私は少しのネタバレすら避けるタイプで、クリアするまで、関連情報はすべて素早くスクロールして回避していました。そしてクリア後、ようやく思う存分プレイヤーの感想を読み漁っていたときに、小島監督のある投稿を目にしたのです。