
お笑い番組にはいろいろな歴史があるが、元祖ドキュメントバラエティ番組として輝くのが、1985年より日本テレビ系列で放送された『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(以下、『元気が出るテレビ』)だろう。本作は、ビートたけしさんを筆頭とする人気タレントたちが、一般人を巻き込んで、奇想天外ないろいろな企画を世に送り出した伝説的な番組だ。
数々の社会現象を巻き起こしたこの番組は、多くの有名人を輩出する登竜門でもあった。今回は、そんな『元気が出るテレビ』への出演がきっかけで人気となった、意外な芸能人たちを振り返ってみたい。
■若い頃から美貌は健在…X JAPAN・YOSHIKIさん「日本一のヘビメタ男を探せ」
今や世界を舞台に活躍しているミュージシャン、X JAPANのYOSHIKIさんも、有名になったきっかけは本番組がきっかけだ。
YOSHIKIさんが出演したのは、高田純次さんがリポーターを務める「日本一のヘビメタ男を探せ」というコーナーである。
初出演当時、YOSHIKIさんはアパートに住む20歳の青年であった。トサカのように髪を高く逆立てた派手なヘアスタイルで登場し、「ヘヴィー・メタル界最高の男 ゲイリー・ヨシキ」として紹介されている。そこでYOSHIKIさんはバンドの夢を語りつつ、ダメだったら実家の呉服屋を継ぐと答えているのが面白い。
その後もYOSHIKIさんの出演は続き、応援に駆けつけた飲食店ではドラマ―として圧倒的なパフォーマンスを披露。さらに「秋の大運動会」では“ヘヴィメタル・チーム”の一員として、派手なビジュアルのまま競技に参加し、異彩を放っていた。
一見近寄りがたい見た目とは裏腹の、YOSHIKIさんのチャーミングな人柄が人気を集めたこのコーナー。繊細で美しい顔立ちが、当時から変わっていないことにも驚かされてしまう。
■本番組がきっかけで日本を代表するアイドル・俳優になった岡田准一さん
2021年、多くのファンに惜しまれつつ解散したアイドルグループ・V6。そのメンバーの中でも、高い演技力と端正な顔立ちで人気となった岡田准一さんもまた、『元気が出るテレビ』に応募したことがきっかけで、芸能界デビューを果たした1人だ。
岡田さんが出演したのは「元気ジャニーズ予備校」というコーナー。当時の岡田さんはまだ14歳で、両頬をほんのり赤く染めた愛らしい少年だった。番組内で歌を披露するのだが、緊張からかうまく歌えない。思わず顔をしかめる岡田さんだったが、その初々しい仕草も審査員たちの目に留まったのかもしれない。
その後、岡田さんは予備校1期生として、見事V6への加入を果たす。通常はジャニーズJr.を経験してからグループデビューを果たすことが王道だったが、バラエティ番組への応募が加入のきっかけとなった岡田さんは異色の存在であった。
その後の岡田さんはアイドル活動のみでなく、NHK大河ドラマの主役を務めるなど、日本を代表する俳優として、目覚ましい活躍を続けている。これほどの大スターを輩出した『元気が出るテレビ』には、やはり先見の明があったのだろう。
■元祖海パンキャラだった!? 山本太郎さんがデビューした「高校生制服対抗ダンス甲子園」
今でこそ海パン1枚で登場するお笑い芸人はたくさんいるが、そのスタイルを最初に決定づけたのは「メロリンQ」のフレーズで一世を風靡した山本太郎さんかもしれない。
山本さんは「高校生制服対抗ダンス甲子園」、通称“ダンス甲子園”のコーナーで一躍人気者になった。
ダンス甲子園は、ダンスを愛する高校生たちがそれぞれの得意とする踊りを披露し、テリー伊藤さんら審査員が優勝者を決めるというもの。
そのコーナーに登場した山本さんは、海水パンツ1枚に水泳帽を被り、鍛え上げられた美しい肉体美を披露しながら、キレのある面白パフォーマンスを見せつけた。その強烈なキャラクターで人気を博した山本さんは、その後も多くのコーナーに出演し、「メロリンQ」のギャグでお茶の間を沸かせたものだった。
その後、山本さんは番組を卒業した後、俳優としてデビュー。NHKの朝ドラや大河ドラマにも出演し、個性的なバイプレイヤーとして存在感を見せていたが、現在では政治家として活動している。国会で見せる鋭い答弁は、若き日に培われた、この度胸のあるダンスパフォーマンスから来ているのかもしれない。