■昭和小学生の所持率80%!? 懐かしの野球盤
サッカーゲームより前、小1ぐらいから遊んでたのが野球盤(エポック社)。僕が持ってたのは、鉄製のバットで、消える魔球が付いてるやつ。ヒット打って塁に出たらペラペラな青いランナーを刺すんです。
当時は野球が人気だったから友達の8割ぐらいが野球盤持ってたんじゃないですかね。何しろ当時の小学生は空地があれば野球でしたから。チャリンコのタイヤのスポークのところにいつもゴムのカラーボール挟んでたし、バットがなければ手打ちだったし、被ってるのは野球帽だったし。
というか当時は野球帽しかなかったから。もう少し経つと、『キャプテン翼』の若林くんの影響でアディダスの帽子とか被るようになったけど、それまではみんな野球帽。僕が被ってたのはジャイアンツの帽子とライオンズの帽子。あとなぜか中日の帽子被ってる写真もあります。別に中日のファンでもなんでもなかったけど、きっと中日のマークがカッコいいと思ったんじゃないですかね。
当時はテレビもゴールデンタイムにプロ野球中継が必ずあって、それもほとんどジャイアンツ戦。僕も子どもの頃はテレビでプロ野球見てました。
野球って、親がファンのチームを子どももファンになるんですよね。うちは親父がジャイアンツファンだったから、子どもの僕も必然的にジャイアンツファンでした。そのあと埼玉に引っ越してからは西武ファンになりましたけど。
西武球場に行ったこともあります。おかあが西武デパートで福引やったら“オフの日に西武球場の中を見学できる”券が当たって、おかあと2人で球場に行きました。
ロッカールームとか放送席とか普段入れないような場所に入れて。それでグラウンドに出てみたらキレイな人工芝で「こんなにキレイで広いんだ!」って感動してたら、当時いたY選手がやってきて、じゃんけんして勝ったらサイン入りのバットとグローブをくれるっていう、ちょっとしたファンサービスのイベントが始まったんです。
その時、Y選手が面倒くさそうな顔で、「はいジャンケンね、はいはい」。いかにも手抜きな姿を見て、
「この人、営業で仕方なく来てるんだなぁ。早く終わらせて帰りたいんだろうな。プロ野球選手も大変なんだなぁ…」
……子ども心にそう思いました。
ちなみに僕は中学に入って最初の頃野球部でしたけど、すぐに辞めちゃいました。『夕ニャン』見たくて練習サボってるうちに、気付いたらフェードアウトしてました。
【プロフィール】
土田晃之(つちだ てるゆき)
1972年9月1日生まれ、東京都練馬区出身・埼玉県育ちのお笑いタレント、司会者、コメンテーター。太田プロダクション所属。1991年にお笑いコンビ「U-turn」としてデビューし、解散後はピン芸人としてバラエティ番組や情報番組で幅広く活躍。ガンダムやサッカー、家電など多彩な知識を持ち、親しみやすいトークで人気を集めている。『僕たちが愛した昭和カルチャー回顧録』が、2025年8月20日より双葉社から発売。


