桜木と流川は「終生のライバル」になれたのか?『SLAM DUNK』に隠された“その後”が気になる「意味深描写」の画像
『THE FIRST SLAM DUNK』(C)I.T.PLANNING,INC.(C)2022 THE FIRST SLAM DUNK Film Partners

 1990年より『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載が開始された、井上雄彦氏によるバスケットボール漫画の金字塔『SLAM DUNK』。連載終了から長い年月を経てもなお色褪せない不朽の名作であり、2022年に公開された映画『THE FIRST SLAM DUNK』が世界的な大ヒットをしたことも記憶に新しい。

 原作の物語は、主人公・桜木花道が属する湘北高校がインターハイ2回戦で絶対王者・山王工業高校を破るという奇跡を起こし、その熱狂のまま幕を閉じた。そのため、以降のインターハイの行方も、花道や流川楓の卒業後の姿も描かれていない。

 しかし物語の随所には、「その後」を想像させるような意味深な描写やセリフが散りばめられている。今回は、その中から特に気になるものをあらためて振り返っていきたい。

 

※本記事には作品の内容を含みます

 

■桜木花道のその後——怪我からの復活と流川との未来

 最終回で描かれたのは、背中の怪我からの復帰を目指し、リハビリに励む花道の姿だった。しかし桜木の「その後」はどうなるのだろうか。復活できたのだろうか。

 後日譚である短編『あれから10日後ー』でも自らを「リハビリ王」と自称し、前向きにリハビリを続ける様子が描かれていたが、実際にコートへ戻ったかは明確にされていない。

 しかし、本編には桜木の復活を匂わせるような言葉が実は登場している。

 まず、第3話「blood」で、桜木と楓が初めて出会った場面に添えられた「桜木花道と流川楓——のちに終生のライバルといわれる二人の出会いであった」というナレーションである。

 終生とは、文字通り“一生涯”を意味し、これは桜木と流川が、高校卒業後も大学やプロの舞台で火花を散らし続ける姿を暗示しているようにも読める。

 さらに、第205話「疑惑のエースキラー」。豊玉高校戦で流川の凄みを知り、そのプレイを目で追うようになった桜木に向けられた「後にさらに加速度的に成長していくことになるのだが……それはもうちょっと先のことであった」というナレーション。この“もうちょっと先”とは、怪我から復帰した後のことだと考えるのが自然だろう。

 これらの描写からは、桜木が必ずや怪我を乗り越え、再び流川と並び立つ「終生のライバル」としてコートに戻る。そう信じずにはいられない。

■桜木父のその後——涙の裏にある過去

 第148話「オヤジ」で、恩師である安西先生が倒れた際、適切な応急処置を施すなど意外な対応を見せていた桜木。そして、その直後に見せた涙……。その意味深な描写の背景には、中学時代の忘れがたい出来事があった。

 ある日、桜木が帰宅すると、父親が玄関先で苦しそうに倒れていた。桜木はすぐさま病院に向かおうと駆け出すが、その道中、喧嘩で遺恨を残した不良たちと運悪く鉢合わせてしまう。彼らは、桜木の「どいてくれ!!」という必死の叫びにも耳を貸さず、行く手を阻んだ。

 桜木の父親が「その後」どうなったのかは、作中でいっさい明言されていない。しかし、安西先生の危機に流した桜木の涙を思えば、帰らぬ人となったと推測するのが妥当だろう。

 安西先生の異変に際して見せたあの冷静さは、この苦い記憶が胸に刻まれていたからこそ生まれたものだったのかもしれない。

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