
1984年6月、「ゲームが作れる」というテレビCMで話題となった『ファミリーベーシック』が任天堂から発売された。
当時『ファミリーコンピュータ(ファミコン)』が登場してから約1年しか経っておらず、『ファミコン』自体を持っている子どももまだ少数派だった。そのため、所有している友達の家に遊びに行った際には大興奮したことを覚えている。
そんな『ファミリーベーシック』は『ファミコン』と同じ14800円で販売されており、なかなか手が出せなかった人も多かったはず。そして、1985年2月にはバージョンアップ版『ファミリーベーシックV3』が登場する。
筆者を含めた当時の子どもたちはみな、ゲーム制作に強い憧れを抱いていたが、実際のところは自由にゲームを作ることは難しく、四苦八苦したものだった。
そこで、ファミコン世代が悪戦苦闘した『ファミリーベーシック』の苦い思い出を振り返ってみよう。
■まるで近未来…『ファミコン』にセットした瞬間の高揚感、だがその先には壁があった
筆者が手にした『ファミリーベーシックV3』はカセットの単体発売で、キーボードが付属されていなかった。そのため、友人に初代カセットと一緒に借りることになったのだが、「まあ、無理やで」と、その友人は言った。その時は大げさな冗談だと思っていたが、実際にプレイしてみてその意味を痛感することとなる。
当時のファミコンソフトはシンプルな内容のゲームがほとんどで、グラフィックも今に比べればチープなもの。だが『ファミコン』自体が夢のような存在であり、それを使って新しいゲームが作れるというのだから期待感は大きかった。
まず、ファミコン本体の拡張ポートにキーボードを接続する。拡張ポートを使用するのも初めてなので緊張した。当時、自宅にはまだエアコンやビデオデッキもなく、電話機もダイヤル式。そんななか、自宅に大きなキーボードがあるだけで、近未来を感じたものである。
ひとまず、入門として初代『ファミリーベーシック』をプレイし、マリオが8方向に動くプログラムを入力した。今では考えられないほどゆっくりと説明書を見ながらキーボードを触り、タイピングをした覚えがある。
そしてあの8方向への移動……それだけで度肝を抜かれた。自分で作ったマリオが動くという経験は衝撃だった。だが、そこから先に進む方法が分からず、さっそく戸惑ってしまった。
ふと冷静になるとBGMもないし、ただマリオが動いているだけなのである。行程としては次のサンプルプログラムを入力してチェスや記憶力を試すゲームをしていくのだが、感動よりも「何をすればいいのか分からない」という戸惑いが大きかった。