
トップ女流棋士として活躍する香川愛生さんは、ゲーム・アニメ・漫画好きを公言する“オタク女流棋士”としても有名だ。オタク趣味を生かした将棋普及活動をする一方で、くずしろさんの漫画『永世乙女の戦い方』では監修を務め、実写ミステリゲーム『春ゆきてレトロチカ』(スクウェア・エニックス)に“俳優”として出演するなど、ポップカルチャー界でも存在感を見せている。そんな香川さんに「一番好きなゲーム」について聞いた!
【第1回/全3回】
■将棋と同じくらい、好きなアニメやゲームを発信したい
──香川さんは棋士でご活躍されつつ、ゲームやアニメに対しての興味を積極的に発信されていますが、同世代の棋士の中でもやはり特殊な存在なのでしょうか?
香川:珍しいほうだと思います。棋士って長い歴史のある職業で、日々将棋の研究をして、全力でぶつかり合うのが本分ですが、将棋を普及するための活動も、それぞれがいろんなアプローチで取り組んでいます。自分だからできる普及活動って何だろうと考えた時に、好きなアニメ、ゲームを発信することで「こういう人もいるんだ」と興味を持ってもらえたらいいなと思って、SNSなどで発信するようになりました。
あとはやはり、見ていただく仕事でもあるので「個性がある人間でいたいな」と、昔から何となく思っていました。
──最初に将棋に触れたのが10歳前後とのことですが、その時点でテレビゲームは遊んでいましたか?
香川:はい。一番最初に買ってもらったのが「ニンテンドウ64」で、そのあとは「ゲームキューブ」でした。
──さすがに当時のことはあまり覚えていないですよね。
香川:そんなことないですよ。持っていたソフトが少ないので、それを大事に遊んでいたんです。同じものを繰り返しとことん楽しんでいたから、けっこう覚えていますよ。逆にゲームのこと以外はあまり覚えていないかもしれません(笑)。
ニンテンドウ64だと……『スマブラ』(『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』)や『どうぶつの森』をよく遊びました。『ポケモンスタジアム』のミニゲームも面白かったですね。あと、『ボンバーマン64』がすごく難しかったのも記憶に残っています。当時はパーティゲームが増えた時代で、みんなでゲームを遊ぶのが当たり前になっていました。
■“女の子だから”に縛られたくなかった
──たしかに一緒に遊べる友達がいると、より楽しくなるゲームが多かったですね。
香川:私、浜村通信さん(ゲーム雑誌『ファミコン通信』の三代目編集長で、現・KADOKAWAシニアアドバイザー、日本eスポーツ連合理事の浜村弘一氏)の息子さんと、小中学校時代でクラスメイトだったんです。放課後にほかのクラスメイトと一緒に浜村家へ遊びに行ってみると、もう「全部のゲームあります」みたいな環境で。それからもみんなで遊びに行っていましたし、浜村さんだけじゃなく別の友達の家にも集まったりして、みんなとゲームを遊ぶのがいつも楽しみでした。そういう意味でも恵まれた環境だったと思います。
──けっこう男の子と遊んでいたんですね。
香川:ボーイッシュな子ども時代で、趣味全般が男の子っぽかったかもしれません。「女の子だから」って決めつけられるのが、昔は苦手で。ピンクの可愛いものを勧められても、自分が好きなものが欲しいし……みたいに、ちょっとこじれていましたね(笑)。流行の作品も遊びましたが、やっぱり私は対戦要素のあるゲームが好きで、そこから自然と『ポケモン』中心になっていきましたね。
──現在の香川さんからは想像がつきません。
香川:10代の頃は、プレイヤーキャラの性別を選べるソフトなら、ほとんど男の子を選んでやっていた気がします。ちょっと大人になってから、恋愛シミュレーションゲームをプレイするようになっても、『ときめきメモリアル』とか『トゥルーラブストーリー』とか、男の子目線のほうを遊んでいました。
──『ガールズサイド』のほうではなく(笑)。
香川:私、小さい頃は喧嘩っ早くて負けず嫌いな子どもだったんです。女の子だと力では男子に勝てないから、ちょっと舐められちゃう……みたいな部分もありますよね。だから、「ゲームの中ではそうはいかないぞ」っていう気持ちが、もしかしたらあったかもしれません。将棋だとそこはもっと公平で、勝ち負けがはっきり決まるのが居心地良かったですね。頑張れば男の子や年上の人にも勝てるというところからハマっていった側面もあります。