1981年『劇場版 機動戦士ガンダム』公開の日…昭和のアニメ女子が映画館で触れた「本物の熱量」【昭和オタクは燃え尽きない】の画像
Blu-ray『劇場版 機動戦士ガンダム』(バンダイナムコフィルムワークス) (C)創通・サンライズ

 1980年――。テレビアニメ『機動戦士ガンダム』の最終回「脱出」が放送された約2週間後、「ガンダム・ロス」を過ごしていたファンのもとにトンデモナイ情報が飛び込んできました。

 2月10日発売の『アニメージュ 1980年3月号』(徳間書店)の表紙を飾ったのは、女子からも大人気だったマチルダさんでした。予約していた雑誌を受け取りに書店を訪れていた私は、その凛々しい姿にテンション爆上がり。そして、雑誌ロゴ下の「CAN YOU LIVE FOREVER? 『機動戦士ガンダム』映画案」という文字に目がクギヅケになります。

 お会計を済ませて大慌てで帰宅し、購入した『アニメージュ』を取り出してめくると、「富野喜幸(現:由悠季)誌上演出 COMBATANT GUNDAM『映画』構成案第1稿」と題したカラーページを発見。

 そのなかのインタビューでは、富野監督が『ガンダム』の映画作品について「10時間30分の一挙上映をもくろんでいます」「“総集編”という形の映画にはしたくない」と熱い思いを語っていました。

 記事を読んだ私の頭の中は「やったー!」という気持ちでいっぱい。私にしてみれば、映画化は想像を超えた“ワクワク”でしかありません。この「ガンダム映画化」のビッグニュースは、翌日の学校でアニメ好き友だちのYちゃんと、「見た!」「うん!」と、喜びを分かち合いました。

■最終回後、ますます高まるガンダム人気

 その後、思いのほか早く、テレビアニメの再放送がスタート。これで、ガンダム人気は一気に加速することになります。本放映時は第34話から見始めた私も、再放送でようやく第1話から通して『ガンダム』を観ることができました。こうして、私のガンダム知識は吸収と蓄積を重ね、どんどん「ガンダム好き」として突き進んでいくのです。

 私の肌感覚では、テレビアニメの最終回直前あたりから盛り上がりはじめた「ガンダム人気」は、映画化のニュースと春先から始まった再放送によって一気に爆発した気がします。 本放映時は興味を持たなかった妹まで、私と一緒に再放送を観ていましたし、駄菓子屋さんにも『ガンダム』が描かれた商品が置かれ、書店にも関連書籍が追いきれないほど並べられるようになりました。

 そのころ、私の中学にやって来た教育実習生が『ガンダム』を知っていて、「大人なのにアニメが好きなんだ!」と、うれしく誇らしく感じたのを覚えています。自分が好きなアニメを受け入れてくれる「大人」の存在を知ったのは、これが初めてだったかもしれません。

 そして、1980年末あたりからは、「ガンプラ人気」が急激に高まっていったように思います。もともとプラモデルなんて興味もなかった私も、ガンダムファンとして、女子ながらガンプラも手に入れました。自分が作れるかどうかなんて、買ったあとのことなどまったく考えておらず、当時は「ガンダム」にただ必死になっていました。

■少しずつ実感する「映画化」の波

 1980年10月2日の『日刊スポーツ』に、「ポスト・ヤマトはガンダムだ」という見出しとともに、ガンダムの映画化決定を伝える記事が出ました。

 かなり前にアニメ雑誌での富野監督のインタビューを熟読していた私たちにとっては、「何をいまさら」という感覚でしたが、駅やタバコ屋さんの店先にも置かれたスポーツ新聞で報じられたニュースは、否が応でも気分を盛り上げてくれました。

 その後、具体的な公開時期やテレビアニメ版からの差し替えカットがあるという情報、映画用に音声の録り直しがあるなど、少しずつ判明する映画情報に興奮しながら、学校で友だちと「ガンダムごっこ」をしたり、ノートに絵を描いたり、リレー小説を書いたりしながら、落ち着かない気分を発散させていました。

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