■最終回のシャアに魅せられて……
その後、キシリアが乗っていたザンジバルは爆発し、ア・バオア・クー要塞も大爆発。復讐を果たしたシャアもそれに巻き込まれて、完全に「死んだ」と思いました。ロボットアニメで敵側にいる「美形悪役キャラ」といえば、『闘将ダイモス』のリヒテルしかり、『超電磁マシーン ボルテスV』のハイネルしかり、最終回で死ぬのがお約束だったためです。
いろいろありましたが、アニメ雑誌で得た知識によれば、シャアはかわいそうなヤツですし、ララァは死なせてしまうし、今さらアムロやセイラの仲間にはなれないし、なにより、ザビ家のキシリアを殺したことで「やり遂げた感」があったはず。そんな行き場のないシャアが生きてるはずがないと、そのとき本気で思ったわけです。結果、数年後に驚くことになりますが……。
なにはともあれ、仲間たちのところに帰ってきたアムロの「ごめんよ、まだ僕には帰れる所があるんだ」のセリフに目頭がじんわりと熱くなり、正真正銘、最後となるエンディング曲を聞いて、録音していたラジカセを止めたあと、思わず拍手。
『ガンダム』という作品に出逢えて本当に良かったーー。
心の底からそう思い、私に『ガンダム』を薦めてくれた、いわばアニメの宣教師フランシスコ・ザビエルこと、友だちのYちゃんあらためて大感謝した次第です。
■視聴後に「あふれ出る思い」
おばあちゃんの家を出ると、外はすでに真っ暗。寒さとともに一抹の寂しさを感じる1月末です。自転車の前かごにラジカセを乗せると「あぁ、本当にガンダムは終わったんだな」と噛み締めながら、自宅に向かって必死にペダルをこぎました。
おばあちゃんの家があった住宅街には当時コンビニなんてものはなく、多くの店が18時には閉まる時代でした。真っ暗闇になった道は、自転車で疾走しながらも不安で、いろんなアニメ主題歌を歌いながら帰りました。
でも、頭の中はガンダム最終回の興奮と余韻でいっぱい。
ネットやSNSが発達した現在なら、最終回の「ネタバレ」に配慮しながら、本名も知らないどこかの誰かと感想を分かち合い、考察などを語り合うのがアニメ視聴の楽しみのひとつとなっています。
しかし『ガンダム』放送当時は、そんなのは夢のまた夢。それどころか私にとって、最終回の感動を共有して、感想が伝えられる相手は、学校で会える友だちのYちゃんしかいなかったのです。
Yちゃんと私の家は、学区の端と端に位置し、そのうえ長くて急な坂道を二回も越えないとたどり着けない場所。小学生が電話で友だちと長々おしゃべりするのも難しい時代でした。そんな私がYちゃんとコミュニケーションをとる方法は、学校での会話か、交換日記くらいしかなかったのです。