■運命の『機動戦士ガンダム』第34話

 私が初めて観た『ガンダム』のリアタイ回は、シャアがアムロの車を牽引した第34話「宿命の出会い」(1979年11月24日放送)でした。父親に会うためバギーを走らせていたアムロが、湖で白鳥を見つめる少女・ララァと出会う回です。全43話に対して34話からのスタートは、今思えば出遅れた感がハンパありません。

 少女の姿で達観した雰囲気が漂うララァ、そして戦地で死闘を繰り広げた相手・シャアとアムロの意外なほどフレンドリーな出会いのシーンを観て、当時の私は「ちょっと怖いな」と感じたのですが、その理由については後述します。

 34話以前の放送を観ていなかった私のガンダム知識は、アニメ雑誌に掲載されていた「あらすじ」や「設定」、そして「アニパロ」ネタが全てでした。そのため変な思い込みが強く、たとえばカイやブライトさんに対して「面倒な人だな」などの先入観を持っていたものです。

 当時の私は、今よりもずっと「美形キャラ」好きでしたが、雑誌に載っていたシャアの素顔が“美形”と知ってはいても、なぜか珍しくなびくことはありませんでした。さらに「アニパロ」という“虚構”のシャア・アズナブル像の影響をもろに受け、「狡猾な悪役美形」という印象を抱いていた私は、34話でアムロに親切にしているシャアの行動も「計算ずくだな?」とうがった見方をしたわけです。

 この34話はララァ初登場の回ということもあり、弱った白鳥を静かに見守る彼女の姿は、神秘的かつ純粋なイメージとして私の脳内にインプットされます。ところがその後、バギーを運転するシャアの隣にララァがいたのを観て、「ははぁーん、この娘はシャアにダマされているんだな? 今、こいつはアムロを利用して、いい人アピールをしているわけだ」と勘ぐります。

 さらに、薄暗い部屋でララァとふたりっきりになると、シャアはヘルメットを外してイチャイチャし始めます。「わかった! ララァはシャアにさんざん利用されたあげく捨てられ、殺されるんだ。サスペンスドラマに登場する何も知らない純朴な田舎娘みたいに……」と、今思えば当たってそうで全然違う、盛大な勘違いをし、シャアの周到さに「怖さ」を感じたわけです。

 さらに、アムロのお父さん(テム・レイ)がテレビの前ではしゃいでいた理由、ミライさんがスレッガーにぶたれた理由、それらがさっぱり分からないまま、「なんか、地味なキャラクターばかり(当時はそう思っていてごめんなさい)なのにドラマチックだな」、「どうしてロボットアニメなのに戦闘シーンがないんだ(本当は少しだけありました)」など、カルチャーショックを受け続けます。

 また、アムロの額のあたりが「ピカーン」と光るのがとんでもない力を発揮しそうで、わけもわからないまま「何かすごいことになっているぞ」と感じます。なぜなら『OUT』で聖悠紀さんの『超人ロック』を知っていた私は、この後はロック同様の展開になって「星や戦艦をも砕く超能力対決になるんだ!」と、ここでも盛大な勘違いをするわけです。

 こうして、第34話は私にとって衝撃の『ガンダム』初視聴となりました。

 いろいろ勘違いをしながらも、『ガンダム』にむちゃくちゃ惹きつけられ始めた私は放送後、できる限りの行動に移ります。

 当時は動画配信サービスのような視聴手段はなく、ビデオデッキやレンタルビデオ店なんて影も形もありません。そのためアニメ雑誌の特集記事や設定など、“動かない”誌面情報を脳裏に刻み込み、いろいろなキャラのセリフや名シーンを覚えることで、ようやく意味も分からず流し見してきたアニパロの意味を理解します。

 書店で高そうな『ガンダム』の本を見つけたときは、クリスマスプレゼントの前倒しで親にねだって買ってもらうという必殺技まで繰り出す始末。先駆者であるYちゃんと話をしたり、「ガンダムゴッコ遊び」をしたりして、視聴が遅れたスキマを埋める補完作業に精を出すのです。

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