「大人が本気で泣ける…」名作4コマ漫画が描いた「人間ドラマ」と「人生のあたたかさ」の画像
『自虐の詩』上巻より(竹書房)

 たった数コマで起承転結のドラマを生み出す「4コマ漫画」。『コボちゃん』『少年アシベ』『ポプテピピック』『あずまんが大王』など、コミカルなギャグものからほのぼの日常系まで、様々な層の読者から愛される名作が次々と生まれてきた。

 サクッと読めるオーソドックスな形態が多い中、現在は複数の4コマ漫画を繋いで一つの物語を描くストーリー4コマも増えている。ストーリー4コマは自由なコマ割りのストーリー漫画とは違い、4コマを軸に展開していくのだが、奥行きがあり味わい深い作品も多い。今回はその中から、「泣ける」と語り継がれる名作4コマの魅力を振り返っていきたい。

■心揺さぶるクライマックスに涙

 まずは『週刊宝石』で1985年から1990年にかけて連載された業田良家さんの『自虐の詩』。森田幸江と葉山イサオを主人公においたシリーズがヒットすると、彼らの人生を綴るストーリー4コマへと変わっていき、「泣ける」4コマの代名詞的作品となった。

 幸江は見るからに幸が薄そうなのだが、責任感が強く優しい女性。一方のイサオは飲んだくれで超短気。事あるごとにちゃぶ台をひっくり返し、定職にも就かずに幸江のお金をギャンブルに使ってしまう有り様だ。物語の前半では、そんな幸江とイサオの波乱に満ちた日常がギャグを交えて描かれる。

 荒くれもののイサオに苦労しつつ、幸江は甲斐甲斐しく世話を焼いて一途な愛を注ぐ。イサオも不器用ながら幸江に対する愛を見せており、二人の間には確かな絆があった。

 中盤以降になると、幸江の壮絶な学生時代のエピソード、親友となる熊本さんの登場、愛に飢えていた幸江とイサオの馴れ初めが明かされ、物語が一気にシリアスさを増していく。ヘビーな内容が4コマゆえにテンポよく描かれるため、読者はグングンと引き込まれてしまうのだ。多くは書けないが、熊本さんは素晴らしい人物だった。彼女の言葉や行動は、胸をつかまれてしまうものばかりである。

 クライマックス、幸江は妊娠を機に幸せの本質に気づき、自分を捨てた母あてに思いの丈を綴った住所のない手紙を書いて新たな一歩を踏み出す。そして物語は、熊本さんと20年振りの再会を果たした幸江の「幸や不幸はもういい どちらにも等しく価値がある 人生には明らかに 意味がある」というモノローグで締められる。過酷な生活の中で“人生の意味”や“幸せの形”を見出した幸江のこの言葉に、多くの読者が胸を震わせたことだろう。

■サイバラ流「究極の人間賛歌」

 切なさで感情がかき乱される西原理恵子さんの『ぼくんち』。1995年から『ビッグコミックスピリッツ』にて連載されていた作品で、目を伏せたくなるような辛い環境で懸命に生きる家族の姿を温かいタッチの絵で描いている。

 主人公は、貧困者のたまり場のような町に住む一太。住民はまともな生活を送っておらず、村は暴力・薬物・犯罪がはびこる劣悪な環境だった。彼の家も貧困で、家庭環境はかなり悪い。

 あるとき、家出を繰り返す母親が、夜の世界で生きる姉・かの子を連れて3年ぶりに帰宅した。一太は腹違いの弟・二太とともに久々の家族だんらんを楽しむも、母は再び家を出てしまう。

 ここから残された3人の生活が始まるのだ。かの子は体を売りながら兄弟に愛を示し、兄弟もまた死が隣り合わせの地獄の中で小さな幸せを見出していった。

 前述したように、住民にいわゆる“普通”な人はいない。中でも印象的なのがこういちくんだ。一太らと同様ヘビーな環境で育った彼は次々と犯罪を犯す危険人物ながら、しばしば姉を気遣う優しい一面を見せる。一太は家族のためにそんなこういちくんの元で危ない仕事に手を出し、次第に落ちていく。

 3人で静かに暮らす、という一見当たり前のようなことが彼らにはできなかった。一太はその後町を出て行方不明となり、二太を養えなくなったかの子は彼を親戚に預けることを決意。二太は、かつてかの子に教えられた「泣いたらハラがふくれるかあ。泣いてるヒマがあったら、笑ええっ!!」という教えを守り、笑顔を見せながら旅立つのだった。

 彼らの世界には救いがない。登場人物たちは、そんな不条理さを理解しており、どこか諦めの境地のような感覚も持っている。しかし、その中でも小さな幸せを見出していたからこそ、多くのキャラが人生の本質をたびたび説く。あまりのシビアさにやり切れない気持ちになってしまうが、多くの学びを得られる名作だ。

  1. 1
  2. 2
  3. 3