酒井さんが語る、スーパー戦隊オーディションの進み方
──具体的にオーディションはどのように進むのですか?
酒井 最初に書類審査があって、それをパスすると銀座にある東映本社に呼ばれます。『ギンガマン』のときは、会場には黒いタンクトップ、黒い革パンを着たヤツばっかり。みんな吉田栄作や加勢大周みたいなタイプでした(笑)。それで、ポーズをやったり、セリフを言ったりの審査が4~5回あります。それをパスすると、最終決戦として舞台は大泉の東映撮影所になる。そこには赤担当っぽい人、青担当っぽい人、黄色担当っぽい人、ピンク担当っぽい人がそれぞれ5名ずつぐらい集っていて、第1話を担当する監督など現場のスタッフやプロデューサーが待っています。
──なんとなくカラーを決めて、絞り込んでいくのですね。
酒井 そうなんですよ。ただ、全員の並びのバランスが重要で、たとえば、「う~ん、田中君は真ん中に来て。酒井君はその隣で。鈴木さんは右端で」といった感じで、戦隊っぽく配置されるんです。真ん中に立たされたときもあって、「ということは俺、レッド? マジか!」と思っていたら、「ハイ、ありがとうございました」と退場させられるパターンもありました。かと思えば、「ちょっと酒井君、残っといて」となって、「え、俺は残して、ほかの人との並びのバランスを見るの?」ってドキドキしたりして。
──5人が並んだときの見え方をいろいろと試すんですね。
酒井 でもね、『ギンガマン』のときは、首脳陣が悩みすぎて保留になったんですよ。「いったん、帰ってください」と。それで、仲良くなったヤツらと3人で西武池袋線に乗って一緒に帰ったんです。池袋駅で「誰か受かるけど、誰か落ちるよな。でも、恨みっこナシやな。また会えたらええな」って別れました。そしたらね、俺以外の2人が受かってそれがギンガレッドの前原一輝(2003年に引退)と、ギンガブルーの照英ですわ。
──それはショックですね。そのショックを乗り越えて、翌年の『ゴーゴーファイブ』のオーディションに挑んだと。
酒井 それがまたタンクトップ野郎ばかりで(笑)。そのなかでの勝ち上がり方というのはわかっていたので、最終決戦まではいけたんです。最終となるとやっぱり全体のバランスを見るんです。『ゴーゴーファイブ』って、メンバーが5人兄妹という設定なので「自分は背が高いのでブルーかな」と考えたりして。ただね、『ギンガマン』のときは受かりそうな感じがビンビンに来ていたんですが、『ゴーゴーファイブ』のときは、審査員の視線をあまり感じなくて……。「俺以外のヤツを見てる。こりゃあかんな」と察しました。