コミカルなのにシニカル、シリアスと脱力の緩急が絶妙……など、さまざまな魅力にあふれているのが、カリスマ的人気を誇る漫画家・川原泉先生だ。
なかでも、白泉社の少女漫画誌『花とゆめ』に掲載されていた『笑う大天使(ミカエル)』(1987年より連載)は、短編や読み切り作品の多い川原先生には珍しい、全3巻の連載作品。
超お嬢様学校に通う3人の“猫かぶり”少女、司城史緒、斉木和音、更科柚子の活躍が描かれた本作は、2006年に上野樹里さんら主演で実写映画『笑う大天使』として公開されるなど息の長い人気作だ。
そして、もちろんおもしろい川原作品は『笑う大天使』だけではなく、ファンの心をつかんで離さない傑作はほかにも数多く存在する。
そこで本記事では、短編や読み切り作品のなかから、一風変わった魅力にあふれる川原作品を振り返りたい。
■思わず泣けるホンワカ高校野球…『甲子園の空に笑え!』
昭和の野球漫画といえば、天才肌の主人公とチームメイトが反発しながらも、汗と涙と熱血で甲子園を目指す、いわゆるスポ根展開が多かった。
ところが少女漫画誌『花とゆめ』で短期連載された『甲子園の空に笑え!』(1984年より連載)は、そんな暑苦しさとは無縁の、ゆるゆるなキャラクターたちが読者を魅了した作品である。
田舎にある「豆の木高校」に赴任した新任教師・広岡真理子は、若いという理由だけで部員数9人の弱小野球チームの監督に就任。運を味方につけつつ、地味な実力で勝ち続けた豆の木野球部が、ついに夢の甲子園出場を果たす……というストーリーだ。
監督となった広岡は野球に詳しいわけではないが、それでも独自の考えに基づいて部員たちを指導する現実主義者。一方の部員たちは“1勝”という慎ましやかな夢を目標に、家業の農家を手伝いながら野球を楽しんでいた。
そんな無欲のかたまりのような野球部が、まさに夢のような快進撃をはじめる。
農業で培った足腰は雨でぬかるんだグランドで活かされ、点さえ取られなければ負けないという広岡の理論に従って守備を徹底。地味ながらも冗談のようなプレイの連続で、読者を熱くさせる展開が描かれるのだ。
あれよあれよという間に甲子園出場を決めた豆の木高校だったが、貧乏校ゆえに旅費や宿泊費が捻出できない。そんなピンチに陥っても村民の好意でどうにかなるなど、ページをめくるたびにホッコリした気持ちにさせられる。
大舞台の甲子園でも、持ち前の運の良さと守備力を武器に勝ち進む豆の木高校。そしてついに強豪・北斗高校との決勝戦を迎える。
エースの春日晴彦投手はひとりで連日投げ続け、ボロボロの手のひらは痛そうなのに、それをおくびも出さずいつもの“ポヤン”とした表情のまま。ギリギリの人数で戦う豆の木ナインは疲労のピークのはずなのに、広いグラウンドを走り回る姿に目頭が熱くなる。
そして迎えた9回裏。北斗高校最後の打者が高々と打ち上げたホームラン性の打球を、豆の木ナインが「もはや 守備不能…」と成すすべもなく見上げるシーンで、すでにゆるゆるだった筆者の涙腺は一気に決壊した。
応援していたチームが負けたら、悔しさや喪失感を覚えそうなものだが、本作はなぜか爽快感しか生まれない。それは広岡の言葉「みんな みんな 運が良いといいね 楽しいといいね 幸せだといいね」に集約されているように、作中の誰もが見せてくれた“優しさ”のせいなのかもしれない。