品薄、行列、抱き合わせ販売、ちっちゃな接着剤…チビッコたちが熱狂した「昭和ガンプラブーム」の思い出の画像
『1/100 ガンダム』(バンダイ) (C)創通・サンライズ ※画像は「バンダイホビーサイト」より

 夢が詰まった80年代にはさまざまなブームが訪れたが、なかでも1980年代初頭、空前の大ヒットを飛ばしたのが『ガンプラ』だろう。当時少年だった筆者にとって『ガンプラ』は比較的求めやすい価格であり、近所に模型店(以下プラモ屋)があったことから夢中になった。

 そこで今回は、『ガンプラ』ブームを思い出しながら、ちょっと懐かしい“ガンプラあるある”を振り返ってみたい。

■とてつもない人気で品薄状態だった…近所の店をはしご

 『ガンプラ』とは、1979年から放送されたテレビアニメ『機動戦士ガンダム』のプラモデルのことだ。令和の今でも大人気の玩具だが、実際のところ、発売当初はそれほど人気があったわけではないように思う。

 当時、大阪市内の下町に住んでいた筆者。幼稚園時代、すでに近所のプラモ屋には普通にガンプラが置いてあり、プラモデル好きだった4つ上の兄と一緒に、よく親に買ってもらっていた。兄にならって、見よう見まねで頑張って組み立てていたものだ。

 ただ、アニメの再放送や、1981年から公開された劇場版三部作のヒットによって『ガンプラ』は人気を博すようになっていく。

 そして1982年、『ガンプラ』をテーマに描かれた漫画『プラモ狂四郎』(原作:クラフト団、作画:やまと虹一氏)が『コミックボンボン』(講談社)で連載されはじめると、『ガンプラ』は爆発的な勢いで売れまくることとなる。近所のプラモ屋では簡単に手に入らなくなった……というより、店に入れないほどの人気ぶりだった。

 購入したいあまりに自転車を必死に漕ぎまくり、近くの老舗玩具店やスーパーのおもちゃ売り場などを見て回ったのだが、どこも品切れ状態。

 どこから手にした情報なのか覚えていないが、「◯◯でガンプラが発売される」と聞けば行列に並び、挙句の果てに「ギャンとムサイ」なんて抱き合わせ販売に遭遇したことも……。小遣いだけではお金が足りず、泣いて帰ったこともあった。

■小学生低学年には厳しかった…クルクル回してパーツを外して付属の接着剤で頑張る毎日

 『ガンプラ』を初めて手にしたのは、幼稚園の年長から小学生低学年の時期。デザインが描かれたカッコいい外箱にドキドキしながら箱を開けるのだが、中から出てきた複雑なフレームのパーツを目にすると、“本当に出来上がるの?”といつも悩ましく思ったものである。ちなみにその時点で心が折れてしまい、組まずに放置したものもいくつかあった……。

 各パーツはクルクル回してランナーから取り外すのだが、突起部が邪魔になるのでハサミでカットしていく。次に付属の接着剤(たしか袋入りとチューブ型のがあった)を使って組み立てようとするも、パーツを外したときの突起部が邪魔をして、いつもうまくいかなかった。

 筆者が不器用だったせいもあるが、どうしても綺麗に除去できないのだ。説明書を読んでもよく分からず、コイツがバリとなって指を切ってしまうし、何度も諦めようとした。ふと兄の机を見るとすでに迫力あるザクが飾ってあり、そして、ニッパーを使って作っていることが分かった。

 そうこうして、ニッパー以外にも、プラモ専用のセメダインやピンセット、ヤスリといったツールを兄に共有してもらい、途中からほとんど兄が参戦してくれて、なんとかグフを仕上げた。これには大いに感動したものである。

 ちなみに、自分一人で組み立てたときは接着剤でベタベタになってしまったことも。チグハグだった気もするが、それでも達成感がハンパなく嬉しかった。

  1. 1
  2. 2
  3. 3