演劇に生きる役者たちを描く名作少女漫画『ガラスの仮面』(美内すずえ氏)の主人公といえば“千の仮面”を持つ天才少女・北島マヤだ。
彼女が舞台で見せる演技は観客を惹きつけ、同じ役者はその才能に畏怖する。大女優の月影千草がマヤを端的に評した「おそろしい子!」はあまりにも有名だろう。
そんなマヤだからこそ、彼女が演技で失敗するシーンは読者に大きな衝撃を与える。今回は「あのマヤが!?」と驚いてしまうようなシーンを取り上げよう。
■40度の高熱で挑んだ『若草物語』
マヤが属する“劇団つきかげ”初の演目『若草物語』でマヤは、4姉妹の三女・ベス役に選ばれた。
稽古中、物語のクライマックスでベスが病気にかかって死にかける演技がどうしても掴めなかったマヤは、ベスの気持ちを理解しようと、なんと一晩中雨にうたれてわざと風邪をひこうとする。そしてそのせいで40度の高熱を出し、そのまま公演の日を迎えることとなってしまった。
熱はマヤの集中力を容赦なく奪う。自分のセリフを忘れかけたり、ライトの眩しさに目がくらんだりと、あと一歩で舞台がぶち壊しになってしまうようなミスを繰り返す。
とくにミルクが入ったつぼを落として割ってしまった場面はハラハラものだ。マヤは一瞬心の中で「どうしよう!?」とうろたえ、劇場は緊張感に包まれる。直後、マヤがアドリブでごまかしたおかげで事なきを得たが、読んでいるこちらも心臓に悪かった……。
とはいえ、高熱のおかげでマヤは病床のベスを完璧以上にやりきり、観客を圧倒してみせた。失敗もあったが、マヤの役者としての才能を感じられるこのエピソードは、本作のなかでも印象的だ。
ちなみにこの舞台でのマヤの演技に心を揺さぶられた大都芸能の速水真澄は、以降、“紫のバラの人”として彼女を陰から支え続けることとなるのである。
■母の失踪に人形が泣いた『石の微笑』
次は、1体の人形をめぐる演劇『石の微笑』でのワンシーンを見てみよう。“劇団つきかげ”の再起をめざすこの舞台でのマヤの役はなんと人形だった。
物語の中心でありながら身動きすら許されず、“人間”ではなく“人形”として演技する難しい役だったが、マヤは試行錯誤の末に人形・エリザベスの役をものにする。人形としてまばたきすらしないマヤの演技は本番でも絶賛され、『石の微笑』の興行は成功するかのように見えた。
しかし、千秋楽の日、マヤは母・春が失踪した事実を知る。結核にかかり仕事もやめさせられ、行く当てもないはずの母はどこへ行ったのか……取り乱したマヤは街中で奇跡的に春を見つけるもすぐに見失ってしまい、動揺したまま舞台に上がることになる。
そして『石の微笑』の千秋楽。舞台の上でありながら母への想いが止められないマヤは、大粒の涙をこぼしてしまう。感情がないはずの人形が泣く、それは明らかな失敗だった。
月影はこの失態に「あなたは役者として失格です!」と言い放つ。唯一の肉親の危機でさえ、舞台の上では役者として仮面を被らなければならない。『ガラスの仮面』のなんと厳しいことか。