『デスノート』Lの「が…ま…」に込められた意味は?漫画&アニメ主要キャラ「謎が謎を呼んだ」死に際の一言の画像
アニメ『DEATH NOTE リライト ~幻視する神~』 (c)大場つぐみ・小畑健/集英社・VAP・マッドハウス・NTV・D.N.ドリームパートナーズ

 漫画やアニメの中では、物語の根幹を支えてきた主要キャラが、志半ばで命を落とすこともある。せめてその死亡シーンを感動的に、最大の見せ場にしてほしいというのがそのキャラのファンの願いだが、彼らの放った「死に際の一言」が「よりにもよって、なぜ?」という、謎を残すことが稀にある。

 今回は主要キャラが残した、なぜそんなセリフを言ったのかが気になりすぎる「死に際のセリフ」を振り返っていきたい。

■考察を呼んだ「が… ま…」

 まずは『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載されていた、大場つぐみ氏、小畑健氏による漫画『DEATH NOTE』より、Lの最期のセリフだ。

 名前を書かれた人を殺すことができる殺人ノート「デスノート」。このノートで犯罪者を粛清し新世界の神を目指す夜神月と、世界的名探偵であるLの頭脳戦を描いたサスペンス漫画だ。

 これまでどちらが勝ってもおかしくないという手に汗握る攻防が繰り広げられていたが、7巻ではついに月とLとの戦いに決着がつく。それは月が死神のレムを使ってLに勝利をするというもので、悪人顔で笑う月の腕の中でLが命を落とすという、『DEATH NOTE』で最も盛り上がるシーンだった。

 今まさに命を終えんとするLは最後に、自身が犯人だと思っていた月がキラであることを確信する。「やはり… 私は… 間違って…… なかった…」というセリフの後、目を閉じながら発したのが、「が…… ま……」というセリフだった。そしてこれがそのまま彼の最期の言葉となったのだ。

 当時からファンの間では、Lが何を言おうとしていたのかの考察が飛び交い大きな話題となっていたが、作者の大場氏の口から答えが語られることはついぞなかった。ただ、これについて大場氏はファンブックであるコミックス13巻の中で、「私は間違ってなかった“が”…ここは“負”けか…」と後継者であるニアとメロの登場を示唆したものではないかと担当編集者が考えていたと紹介。

 だが、これはあくまでも担当編集の一意見で、やはりこのセリフの真相は謎のまま。大場氏は「皆さんにそれぞれの解釈をして頂くのがいいと考えています」「ずるいかもしれませんが、皆さん個々の解釈で楽しんで頂くのが『DEATH NOTE』なんです」と語っていた。

■ミサトさん、なぜ今そんなことを?

 続いては、社会現象にもなったアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』。1995年に放送されたアニメ版と、キャラクターデザインを務める貞本義行氏によるコミカライズ版では、随所で違いが見られる作品だ。中でも主人公の碇シンジの保護者的存在である主要キャラ・葛城ミサトの、1997年公開の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』での最期のセリフには首を傾げた人も多いのではないだろうか。

 漫画版12巻ではシンジを鼓舞したあと、戦略自衛隊員を手榴弾で道連れにして命を落としたミサト。劇場版ではシンジを庇って銃撃を受け被弾し、シンジに「大人のキス」をしたのち戦略自衛隊による区画爆破に巻き込まれて死亡した。

 このとき、倒れ込んだミサトが残したのが「こんなことなら、アスカの言うとおりカーペット換えときゃよかった……ねぇペンペン?」というセリフだ。もちろんここまでに葛城家のカーペットについての言及など何もない。

 今際の際にこそどうでもいい日常的なことを思い出してしまうものなのか、それとも作中で描かれていないだけで、このカーペットをきっかけにシンジやアスカと何か問題が起こったのか、こちらもファンの間で熱い議論が繰り広げられた。

 ちなみに、このときアスカ本人は量産機との戦闘の真っ最中。世話になったミサトの死を知らないまま、自身も究極のピンチに陥るというのはなんとも切ない気持ちになる。なお、2007年から劇場公開された『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズを通しても、ミサトのカーペットに関する言及はなにもなかった。

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