池田理代子さんが描く『ベルサイユのばら』は『ベルばら』の通称で親しまれ、1972年より集英社発行の週刊雑誌『マーガレット』で連載された珠玉の少女漫画。2025年新春には、50年の時を経て新作劇場アニメが公開される予定で、今から楽しみにしているファンも多いことだろう。
同作は男装の麗人オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェを主人公に、革命の渦に飲み込まれたフランス王妃マリー・アントワネットの生涯を描いた物語だ。
不倫、傲慢、浪費家など、悪名高きアントワネットだが、『ベルばら』の影響で日本をはじめ、本場フランスにおいても彼女に対するイメージが大きく変わったと言われるほど。その要因のひとつにあげられるのが、“実在の人物”をモデルに、フィクションを交えて描かれた、周囲の強欲な女性たちの存在だ。
そこで今回は、『ベルばら』において通称「三大悪女」と呼ばれる、あまりにインパクトのあった女性たちを振り返っていく。
■アントワネットへのライバル心が苛烈な国王の愛妾
14歳でフランス王太子妃となったアントワネットは、はじめてのベルサイユで不躾な視線を向けてきた女性に嫌悪感を抱く。その人物こそが、フランス国王ルイ15世の愛妾「デュ・バリー伯夫人」だ。
デュ・バリー伯夫人は下層階級生まれの娼婦だったが、名門貴族デュ・バリー伯爵とかたちだけの結婚をして、翌日には夫を毒殺。国王の妾となった彼女は、権力を得ると大臣任命や収賄などやりたい放題した。
高潔な女帝マリア・テレジアを母に持つアントワネットは、そんなデュ・バリー伯夫人を嫌い、人前で平然と無視するようになる。恥をかかされたデュ・バリー伯夫人が国王を焚きつけたことで、ふたりのいさかいは国家問題にまで発展。アントワネットは矜持を曲げてデュ・バリー伯夫人に声をかけるも、王太子妃が屈服させられたことに涙した。
その後も、オスカルの母親を陥れるために侍女を毒殺するなど、デュ・バリー伯夫人の悪行は続いたが、国王が天然痘を患ったことで運命は大きく変わる。死を覚悟した国王が司祭に“懺悔”を望んだため、キリスト教の教えに背く愛妾デュ・バリー伯夫人は追放された。
貧相な馬車でパリの西にある小城に連れ去られ、のちに国家の“囚人”として修道院に入れられてしまったデュ・バリー伯夫人。ベルサイユでもっとも地位の高い女性アントワネットを屈服させ、贅沢の限りを尽くした悪女の幕引きは、どこか寂しく、あっけなかった。
テレビアニメ版(1979年から放映)では、彼女が転落するまでが詳細に描かれており、自身を「季節はずれのヒマワリ」とたとえたデュ・バリー伯夫人のセリフが筆者の心に今も残っている。
■アントワネットを魅了し、二人の娘を苦しめた毒親
「ポリニャック伯夫人」は、天使のような美貌で王妃マリー・アントワネットを魅了した悪女だ。婚家が貧しい彼女は、あの手この手で王妃に取り入ろうとして、情に訴えるというあざとい作戦に出る。
そんなポリニャック伯夫人が最初に行った悪行は、下町で暮らす少女ロザリーの母親を馬車で轢き殺したこと。憎悪を募らせるロザリーに対し、彼女が言い放った「もんくがあったら、いつでもベルサイユへいらっしゃい!」は、今でもさまざまな場所で見かけるほど有名なセリフだ。
アントワネットはポリニャック伯夫人に誘われた賭博でばく大な借金を作ってしまい、その流れからアントワネット自身が購入した贅沢品のことや、ポリニャック伯夫人の支出のことを知ってしまう。アントワネットは、ポリニャック伯夫人に真相を聞こうとするが、彼女の泣き落としの演技により、うやむやにされてしまった。
王妃を自在に操り、権力を得たポリニャック伯夫人は、邪魔なオスカルを何度も殺そうとするほどの悪女ぶりを見せるが、それ以上に印象深いのが強烈な“毒親”ぶりだ。
11歳の幼い娘シャルロットに、若い娘が好きなド・ギーシュ公爵との結婚を強要したあげく自死へと追い込み、次に公爵に嫁がせようと白羽の矢を立てたのが、脅してポリニャック家に引き取ったロザリーだ。
実は、ロザリーはポリニャック伯夫人が若い頃に生んだ実の子どもで、馬車で轢き殺した女性は娘を引き取ってくれた恩人だったのである。
そんなポリニャック伯夫人は、フランス革命により王室が危機に陥ると真っ先に逃げ出し、アントワネットや娘への愛情を持たない薄情な悪女として描かれた。