■母となりやっと王妃としての自覚が芽生えるも…
数々の災難に見舞われたアントワネットだが、母親になってからは徐々にフランス王妃としての立場に目覚めていく。作品では愛するハンス・アクセル・フォン・フェルゼンからの助言も受け、勝手に大臣を決めない、贅沢な遊びをしない、そして、ポリニャック伯夫人やその仲間と手を切って信頼できるオスカルやメルシー伯のもとに戻っている。
しかし時すでに遅し……政治体制に不満を持った庶民が立ち上がり、フランス革命が起きてしまう。怒りに満ちた民衆がベルサイユ宮殿に討ち入り、王妃殺害を求めるが、その際アントワネットは堂々とバルコニーに出て民衆の前で一礼する。その神々しい姿に目を奪われた民衆は、アントワネットのことを“生まれながらの本物の王女”だと認めたうえで「王妃ばんざい」と声をあげた。
その後、逃亡計画を企てた国王一家だったが、計画は失敗に終わる。すべてを悟ったアントワネットはフェルゼンの助けも断り、王妃としての死刑を受け入れる。処刑台に立ったアントワネットは「これがフランス王妃の死にかたです!!」と、毅然とギロチン台に向かい、美しく最期の瞬間を遂げるのであった。
少女時代は周りの意見に流され、娯楽に身を置いてしまったアントワネット。しかし母になってからは自分の立場をわきまえ、王妃としての自覚も強くなった。もっと早くこうした姿勢を見せていれば、民衆からの支持も得て、処刑される道からは逃れていたかもしれない。
アントワネットの有名なセリフに「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」というものがある。しかし近年の研究によると、このセリフはアントワネットが言ったものではなく、哲学者ジャン=ジャック・ルソーの著書の文言が一人歩きしたと言われている。
『ベルばら』に限らず、史実上でのアントワネットも本当は民衆を思いやり、飢饉の際は王宮費を削って寄付をしていたという逸話もある。より深く本当のアントワネットの姿を知りたい人は、史実に基づいて彼女の生き方が描かれている『ベルサイユのばら』をあらためて読み返してみてほしい。