『ベルサイユのばら』歴史のうえでは“悪女”と名高いフランス王妃「マリー・アントワネット」を考察してみたの画像
フェアベルコミックス『ベルサイユのばら』第7巻(フェアベル)

 マリー・アントワネットと聞くと、皆さんはどのようなイメージを持つだろうか。よく言われているのは、民衆に無関心であり、浪費を重ねた挙げ句、フランス革命のときにギロチンで処刑された王妃というイメージだ。

 しかし池田理代子氏の『ベルサイユのばら』で描かれているマリー・アントワネットは、少し違う。少女時代から大人の野望に翻弄され、大人になってからは我が子たちを守る気丈な母親として、そして王妃として毅然と振る舞う一面も見せている。

 歴史のうえでは“悪女”と名高い王妃だが、本作に描かれている王妃を振り返ってみるとかわいそうに思える点も多く、なぜか嫌いになれない。今回は『ベルサイユのばら』に登場するマリー・アントワネットの生涯を考察したい。

■14歳で政略結婚…ストレスに加え、正しい助言をしてくれる大人がいない生活

 マリー・アントワネットは、オーストリアの女帝、マリア・テレジアの第9子として誕生した。その後、フランス王・ルイ16世の妻となるべく、14歳の若さでフランスへ渡る。当時の規則により、嫁ぐ際はフランス製のものにすべて身を包まなくてはならず、オーストリア製のものは1本の糸すら身に着けるのは許されなかった。

 またベルサイユでは身分の低い夫人から身分の高い夫人に声をかけるのはご法度だったが、国王陛下にはデュ・バリー夫人という公妾がいた。プライドの高いアントワネットは、立場上自分からデュ・バリー夫人へ声をかけなくてはならず、悔しさに涙する日もあった。このように『ベルばら』では、結婚後のアントワネットがストレスの多い日々を過ごす様子が描かれている。

 またアントワネットを利用し、うまく商売をするものも現れた。たとえばパリで洋装店を営むデザイナーは、美しいドレスを次々と紹介し、1年で礼服を54着、夜会服を125着も売りつけた。1着作るのにどれほどの費用や税金が掛かっているのかも知らないアントワネットは、この頃から次々と自分の気に入ったものを購入するようになる。

 アントワネットに限らず、人は子どもの頃から贅沢三昧な生活を送ってしまえば、それが当たり前という感覚になるだろう。周りに正しい意見を言ってくれる大人が少なかったせいもあり、アントワネットは誘惑する大人に導かれ、ストレスのはけ口として浪費を繰り返していくのである。

■欲求を満たしたい大人たちに囲まれ…“首飾り事件”にも巻き込まれていく

 オーストリアからひとり嫁いできたアントワネットは、気心の知れた友人が欲しかった。そんなときに言葉巧みに近づいてきたのがポリニャック伯夫人である。

 ポリニャック伯夫人は最初はおしとやかであったが、アントワネットと親しくなってからは、言葉巧みに金銭や親族の昇進をねだるようになる。また、アントワネットに賭博遊びを持ちかけ、一緒に興じるようになってからは、宮殿の借金は50万リーブル(約60億円)にも膨れ上がった。

 また偽って貴族の養女となったジャンヌ・バロアにより、アントワネットは“首飾り事件”に巻き込まれる。ジャンヌは“自分がアントワネットの親しい友人”であるとうそぶいてローアン大司教を騙し、約192億円もする首飾りをアントワネットの名を語ってだまし取ったのだ。

 事件発覚後に激昂したアントワネットはパリ高等法院で裁判を起こすものの、ジャンヌは“王妃と自分は愛人関係にあり、彼女から頼まれて事件を起こした”などと根拠のないことを書いて回顧録として出版。

 多額の税金に追われ生活も苦しかった国民はその話を信じ、アントワネットは徐々に国民の敵となっていく。アントワネットの周りには、自分の欲求を満たすためだけの人物が集まっていたため、彼女はそのような人々に次々と利用されてしまったのだ。

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