『きのう何食べた?』シロさんとケンジに学ぶ…パートナーへの“思いやりの在り方”を考えるの画像
(C)「きのう何食べた? season2」製作委員会 (C)よしながふみ/講談社

 西島秀俊さんと内野聖陽さんが同性カップルを演じるドラマ『きのう何食べた?』(テレビ東京)が、今アツい。原作はよしながふみさんによる同名漫画で、“シロさん”こと筧史朗と、そのパートナーである“ケンジ”こと矢吹賢二の日常を、食事風景を軸に描いている。

 料理漫画のジャンルに分類される本作だが、料理以上に注目を集めているのが二人のパートナーシップだ。とくに11月3日に放送された第5話では、ケンジの思いやりの深さにシロさんが思わず涙ぐむ場面が描かれ、「神回」と絶賛の声があがった。

 そこで今回は、『きのう何食べた?』で描かれるパートナーへの思いやりの在り方について考えていきたい。

■互いの痛みに寄り添い合うこと

 “死が二人を分かつまで”と言うとおり、別れのときは必ず訪れる。そんな当たり前だが目を背けがちな事実を描いたのが、2021年に公開された劇場版でのエピソードだ。

 物語は、シロさんがケンジの誕生日に京都旅行をプレゼントする場面からはじまる。浮足立つケンジだったが、道中あまりにも優しすぎるシロさんの態度に、“シロさんは死ぬのではないか”という疑念を抱くように。結局これは誤解であり、シロさんは取り乱すケンジを「簡単に死ぬとか言うな」と諭した。

 しかし後日、様子のおかしなケンジを見て、今度はシロさんのほうが“ケンジは死ぬのではないか”と不安になる。これもやはり誤解であったが、パートナーの死を思い「怖かった」と泣くシロさんに、ケンジも「死ぬなんて簡単に言っちゃいけないんだよ」と返すのだった。

 “あなたが死ぬかと思った”とパートナーから告げられたとき、“縁起でもない”と笑い飛ばしてしまうのは簡単で、きっと一番楽な方法だ。しかし本作の二人のやりとりからは、遺される相手の痛みと向き合い、それを互いに分かち合おうとする姿勢が見えてくる。

 劇場版は、ケンジがシロさんの白髪を見つけて「俺たちも歳とったなぁ」と笑い合う場面で幕を閉じるが、共白髪でいられる保証などどこにあろうか。だからこそ、相手に気持ちを伝え、相手の気持ちを受けとめることにズボラになってはいけないと、あらためて思う。それが不安や恐怖、哀しみといったネガティブな感情であればなおさらだ。

 愛する人の痛みに寄り添う余裕と優しさを、互いに忘れず持ち続けていたいものだ。

■別れないための努力を惜しまないこと

 上述した二人の勘違いは大げさに思えるかもしれない。しかしその背景にある心情がよく表れていたのが、二人の友人で同じく同性愛者である“小日向さん”の言葉だ。

 それは、彼のパートナーが家出したまま帰ってこなくなったときのこと。“困らせたいだけだ”と冷めた態度をとるシロさんに、普段は温厚な小日向さんが「僕らはほんのちょっとしたきっかけで愛する人を永遠に失うかもしれないんです!」と珍しく声を荒げる。

 シーズン1の第8話でシロさんが言うには、結婚のような社会的な契約がない同性カップルは、努力しないと簡単に別れられる関係だという。だから別れないための努力が必要なのだ、と。

 彼らに比べ、多数派は「結婚」というひとつの形により、“家族”になることができる。しかしそのぶん、少し鈍感になってしまう部分もあるのではないだろうか。

 関係が壊れてしまうのは、いつだって些細なことが発端だ。だからどんなに安心しきった相手であっても常に興味を持ち、思いやりを忘れず、関係を維持するための小さな努力を惜しまず続けていきたい。些細なことで愛する人を永遠に失う可能性があるのは、私たち全員に言えることなのだ。

  1. 1
  2. 2