『SLAM DUNK』で描かれなかった“あの場面”はどんなストーリーだったのか…仙道の中学時代や宮城の湘北入り、山王戦のその後は?の画像
『THE FIRST SLAM DUNK』(C)I.T.PLANNING,INC.(C)2022 THE FIRST SLAM DUNK Film Partners

 昨年末、映画『THE FIRST SLAM DUNK』とファンブック『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』により、これまで原作『SLAM DUNK』(井上雄彦氏)で描かれてこなかったストーリーが一部明かされることとなった。

 しかし、それでもなお明かされていない場面は多い。たとえば“インターハイで優勝したのはどの高校なのか”という点については、ファンの間でも様々な考察が飛び交っている。今回は、原作では描かれなかった気になるシーンに着目し、そこにいったいどんなストーリーがあったのかを考察する。

■中学時代の仙道と沢北の対決はどんな展開だった?

 作中きっての天才プレイヤー、陵南高校の仙道彰。そんな仙道が「中学んとき1回やっただけだが勝てなかった奴がいる」というのが、山王工業高校の沢北栄治だ。

 仙道は今でこそオールラウンダータイプだが、陵南・池上亮二によると「2年になってパスに楽しみを覚えてからプレイスタイルが少し変わったが…1年のころの奴はバリバリの点取り屋だった」というから、中学時代もオフェンス重視だったと考えられる。また陵南・田岡監督がわざわざ東京までスカウトに行ったことや、入学早々に圧倒的なプレイを見せつけていたことから、当時からすでにズバ抜けた選手だったことは明らかだ。

 沢北もまた、中学ではじめてバスケ部員になった時点でレギュラーの先輩たちをコテンパンにし、並みの中学生では相手にならない実力を有していた。ともにスーパーエースを擁する戦い、そうなると試合は仙道・沢北の1on1局面が目立つ、バチバチの点取り合戦になったのだろうか?

 しかし海南・高頭監督に言わせれば、これまでの仙道は「オフェンスはともかくディフェンスは牧が てこずるような相手じゃなかったはずだ‼」としているし、田岡監督も「ルーキーの時の仙道とは違って当然だ‼」と言っている。ここから、田岡監督にみっちりしごかれる前の仙道は、“牧クラスの超一流選手の相手はまだ務まらない”というのが、両監督共通の評価としてあるようだ。

 対して、4歳から“バスケ狂・テツ沢北”こと父・哲治相手に1on1で挑み続けてきた沢北は、中学時点でディフェンスもすでに超一流だったのではないだろうか。山王戦ではパスを覚えた流川相手に苦戦したが、先の池上の言から、おそらく中学時の仙道にもパスの選択肢はなかっただろう。

 そう考えると、当時の仙道は沢北相手に抜かれまくり、オフェンスでは抜けることもあるが止められることも多く、点取り合戦どころか沢北一人を相手にチームはボロ負け……という展開も、可能性としては十分ありうるのではないか。もっとも、そんな仙道の姿を見たいと望む読者は少ないだろうが。

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