パソコンやスマートフォンもなかった昭和の時代、子どもたちはボードゲームやパズルゲームで夢中になって遊んだ。
1968年に株式会社タカラ(現・タカラトミー)から発売された『人生ゲーム』は、当初こそアメリカ版を日本語に訳したものだったが、1983年以降は日本オリジナルの内容へと変更され、世相や流行を取り入れながら人々に愛され続ける商品へと育っていった。
一方で、「人生ゲームの任天堂版」と呼ばれ、こちらもヒットしたボードゲームが『運命ゲーム』だ。任天堂といえば世界屈指のコンピューターゲーム会社だが、以前は「花札」をはじめとした紙類……いわゆるボードゲームも手がけている。なかでも『スター誕生ゲーム』は美麗な少女漫画イラストをふんだんに使い、バレリーナやピアニストといった憧れの職業、恋占いカード、ブレスレット用ビーズ玉など、女の子のハートをわしづかみする内容だった。
こうしてみると、基本ボードゲームは2〜複数人で、パズルゲームは一人で遊ぶ仕様が多かったように思う。
■線路パネルを動かして目覚まし時計を進め続ける『チクタクバンバン』
コミカルな目覚まし時計が印象的な『チクタクバンバン』は、1981年に老舗の玩具メーカー野村トーイ(当時)が、アメリカで販売されていた『BLOCK THE CLOCK』を日本向けに開発・販売した頭脳パズルゲームだ。そのためか、初期の箱は日本語で『チクタクバンバン』と書かれていながら、使われた写真はゲームを楽しむ外国人親子と謎の司会者だった。
ゲームは進み続ける時計を脱線させないように、ボード上の4×4マスに配置された15枚の線路プレートを動かすため、遊ぶ際には先読みや反射神経も必要となる。また、ベルが鳴ると交代なので家族や友だちと、反対にひとりで黙々と楽しむこともできる自由さもあった。当時、テレビCMで何度も見かけるほどの有名商品で、後に数字の並び変え要素を追加した『チャンピオン チクタクバンバン』なども発売されている。
野村トーイからは他にも、ブタの鼻から出る空気でバトミントンのように遊ぶ『ブタミントン』など、愛嬌ある魅力的なおもちゃがいくつも発売されるが、1992年にアメリカの玩具メーカーであるハズブロに買収され事実上なくなってしまう。だが、野村トーイのおもちゃは、今も私たちの心に楽しい思い出として残り続けているのは間違いない。
■かっこいい指揮官やオペレーター気分を味わえた『レーダー作戦ゲーム』
1960年代後半のタカラは前述した『人生ゲーム』のように、アメリカのゲームメーカー数社と提携し、当時30種類以上のゲームを日本語訳にして発売していた。その中のひとつが、『レーダー作戦ゲーム』である。このゲームは、ノートパソコンのようなプラスチックケースを開き、赤と青に分かれて2人で遊ぶシュミレーションボードゲームだ。箱の中には2面のディスプレーが設置され、正面が相手を攻撃する「レーダー盤」、下面が自陣地の「海上盤」となっていた。つまり、レーダーで敵に弾を撃ち、海上に戦艦や駆逐艦など自分の船を配置する。そして、先攻が「〇の△に攻撃!」と宣言し、そこに敵船があったら相手は「命中」なければ「ハズレ」と自己申告する仕様だ。
ノートに10×10のマス目を書いても遊べるお手軽なルールだが、今思えば簡易仕様だったディスプレイが映画やマンガの世界を彷彿とさせ、子ども心に指揮官やオペレーターなど偉くなった気分を味わえた。
1967年にはエポック社から『魚雷戦ゲーム』が発売されるが、こちらは互いに的である戦艦を3つセットし、照準器で魚雷(パチンコ玉のようなもの)をあてる対戦型ボードゲームだ。似て非なる両者だが、どちらも男の子を中心に人気となり、商品名や仕様を少しづつ変えながら今も愛され続けている。