『鬼滅の刃』や『地獄楽』にも…話題作に続々登場する「魚の化け物」はなぜ怖いのか?の画像
©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

 今クールのアニメがそれぞれ佳境を迎えるなか、注目作である『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴氏)、『地獄楽』(賀来ゆうじ氏)も盛り上がりを見せている。

 ところで、この二作にはそろって「魚の化け物」が登場する。『鬼滅の刃』のほうは、鱗のようなものが生えた無数の手が胴から出ている“上弦の伍”の鬼・玉壺(脱皮後は全身が鱗に覆われた姿になる)と、それが血鬼術により呼び出す異様な姿の魚たち。『地獄楽』のほうは“竈神”の一つで、二本の脚で直立し、数珠をかけて合掌する三対の腕を持った巨大な魚だ。

 生物をモチーフにした化け物は多いが、こと魚をモチーフにしたものは独特の異様なオーラを漂わせている。そのためか、漫画などでは“異常事態”を印象付ける役割で登場させる場面が多いように思う。なぜ「魚の化け物」は怖いのか。理由について考察した。

■“魚”が苦手な人は意外にも多い

 脚の代わりにヒレがあり、流線型の体には鱗が生えていて、エラで呼吸をする。それが、水中で生きるために進化してきた魚のオーソドックスな姿だ。

 私たちは普通にそれを“魚”として認識しているが、世の中にはこの姿に疑問を抱く人もいる。たとえばお笑い芸人で野性爆弾のくっきー!氏はは『踊る!さんま御殿‼』(日本テレビ)で、魚嫌いな理由について“水の中で生活して、速く泳ぐために頭を尖らせて、万年同じ餌で釣られて、生物として得体が知れなさすぎる。宇宙から来たんじゃないか”と話した。そう感じる人は意外にも多いらしく、実際、筆者の職場の先輩も同じ理由から魚を食べることができない。

 そう言われると、たしかに魚の姿は異様だ。普段は水中にいてあまり気にならないが、陸上にいたらどう感じるだろう。浴室の壁をぬたぬた這う魚、木にとまってエラをパクパクさせる魚、車の下に隠れてじっとこちらを見つめる魚……けっこう怖い。それが大型サイズの化け物になって人間を襲うとなると、“気持ち悪い”も含めてかなりの恐怖だろう。

■“違う”と“理解できない”は恐怖の根源

 このように、自分の姿や価値観、当然だと認識していたものとあまりにかけ離れた存在は、恐怖の対象になりやすいようだ。そういうものは敵であり攻撃される可能性があるわけだから、恐れ嫌うのは生物として当然の本能だろう。

 同時に、人間は理解できないことも嫌う。頭脳が一番の武器なわけだから、それも当然かもしれない。その点、化け物は分からないことだらけだ。なぜそんな姿なのか、何が目的なのか、どうすれば倒せるのか。これまで理解してきた自然の摂理にも反している。

 とくに魚なんて、普段から何を考えているのか、どういう気持ちなのか、そもそも思考や感情といった機能を持ち合わせているのかさえ、その表情からはほとんど理解できない。

 “死んだ魚のような目”とはよく言ったもので、たまにあのうつろな目をギョロッと動かすことはあるが、そこから感情を読み取るのは至難の業だろう。相手が人であっても動物であっても、この“何を考えているのか理解できない”というのが、地味に一番怖いのではないだろうか。

 ちなみに目といえば、日本の“蛇の目”やトルコの“ナザールボンジュウ”など、魚の目に似た目玉模様は各地で魔除けやお守りとして使われている。外敵避けに目玉模様を持つ生物も多いくらいだから、ああいう目に恐怖を感じるのは生物共通の本能かもしれない。このあたりも「魚の化け物」が、ほかと一線を画すところじゃないかなと思う。

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