令和の子どもたちは知らない? 1冊10円で本を借りられた昭和時代…本を読みふけった懐かしの「貸本屋」の思い出の画像
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 ふと漫画を読みたくなった場合、令和の現在ではスマホアプリなどから手軽に読んでいる人がほとんどだろう。ほかにはネットカフェでゆったりと楽しんだり、大手レンタルショップを利用することもできる。

 しかし、筆者が小学生だった昭和時代、これらのサービスはもちろんなかった。読みたい漫画があれば親にどうにか買ってもらうか、友達に貸してもらうくらいしか方法がなかったのだ。また、「貸本屋」というお店にもお世話になった。お小遣いもほとんどなかった当時は、非常にありがたい存在だったことを覚えている。懐かしい……ちょっと振り返ってみよう。

■1冊10円程度…信頼商売のおばあちゃん店主

 筆者は大阪市内の出身なのだが、たまに里帰りすると子どもたちも「オオサカ~!」と喜ぶ。阪急淡路駅周辺は筆者が住んでいた20年前とガラッと変わっていることに驚くが、小学生だった40年前にはここに貸本屋がポツンとあった。

 散歩中にそんな話をすると「かしほんや?」と、小学生に上がったばかりの次女はキョトンとしている。「図書館あったね」と、中3になる長女は退屈そうだ。

 いやいや、貸本屋は図書館ではないぞ。筆者がその存在を知ったのは小学1年生のころだ。自転車で散策中、偶然見つけた“貸本”という看板。おそるおそる引き戸を開けると、無数の本がズラッと並んでいた。

 奥行きの長い店舗で3つの通路には両サイドに本棚があり、手が届かない高さにも本が並んでいて、いったい何冊あるのか分からないほどだった。漫画はもちろん、小説や参考書、ビジネス本、実用書などもあり、とくに多かったのが小説だったと思う。

 ふと奥を見ると正面にカウンターがあり、何やら置物の人形が置いてある……と思ったら、店主のおばあちゃんだった。まったく動かないのでちょっとびっくりしてしまったな。万引き大丈夫か?と、小学生ながらに思ったものだ。

 本を借りたいものの、どうすればいいのか分からない。ドキドキしながら聞きに行くと、「借りたい本があったらここに書いてや。10円な」と、本のタイトルと住所、名前を記入するノートを渡された。

「10円?」と長女は驚いていたが、当時の駄菓子屋では5円チョコが人気なほどで、決して安い金額ではなかった。お小遣いも100円程度だったのだ。

 さっそく借りたい漫画を見つけ、なけなしの小遣いから3冊借りてみた。おばあちゃんから「また来てや」と優しく言われ、何やら嬉しかったな。「そういえば、いつまでに返せばいいのだろう……」と、思いつつ、レジ袋もないので裸で持って帰った。

 今思うと、あのノートには本人確認をする書類もなかった。あくどいやつは偽名を使っていそうだし、まさに優しいおばあちゃん店主の信頼商売といえたものだった。

■一気読みして楽しかった70年代の少年漫画たち

 さて、貸本屋の魅力といえば、やはり漫画を一気読みできる点だろう。当時は『北斗の拳』『ドラゴンボール』(集英社)の連載が始まったころ。まさにジャンプ黄金時代の幕開けを予感させるコミックスが本屋を席巻しており、70年代の漫画は店頭でもあまり見かけなくなっていた。

 そのため、『あしたのジョー』『空手バカ一代』(講談社)や『侍ジャイアンツ』『アストロ球団』(集英社)などはここぞとばかりに貸本屋で借り、一気読みをしていた。ただ、残念なことに全巻揃っていない場合も多く、飛び飛びで続きが分からないまま読んだこともあったぞ。

 また、1〜2巻で完結している漫画たちにも新しい発見があった。当時はネットもないので、手に取って読まないと作品を知ることができなかったので、面白い漫画を見つけたときには掘り出しものを見つけた気分になって嬉しかったな。覚えているのは『ハスラー・ザ・キッド』(講談社)など。衝撃を受け、もっと読みたいと思ったものだ。

 また、貸本屋には『週刊少年ジャンプ』や『週刊少年マガジン』などの少年雑誌も置いてあった。1971年から連載された『プロレス捜査網』(集英社)にはハマったな。コミックス化はされていないのだろうか……。

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