映画人の仕事――劇場版『名探偵コナン 黒鉄の魚影』最新作の脚本家・櫻井武晴に聞く(2)の画像
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 4月14日に公開される劇場版『名探偵コナン 黒鉄の魚影』。本作の脚本を手掛けた櫻井武晴氏は、​ドラマ「科捜研の女」シリーズをはじめ、さまざまなミステリ作品を生み出しているヒットメーカーだ。今回は、ロングインタビューで彼が脚本家になった経緯とものづくりへの想いを聞いた。(全3回中の2回)

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■そもそもミステリが好きだったわけではない

 脚本家になる以前は映画会社に勤務していたという櫻井氏。そのきっかけは、ある映画との出会いがあったと語る。

「2000年まで7年間、東宝に勤めていました。東宝に入ったのは、映画の企画をやりたかったから。小学校5年生の頃に観た『駅 STATION』(1981年)という倉本聰さん脚本、高倉健さん主演の映画と、中学1年の頃に観た『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)っていうロバート・デ・ニーロが主演の映画。この2つが本当に素晴らしくて。実はこの2つの作品には両方とも東宝のマークがついていたんですよ。なので、中学生の終わり頃から東宝に入ろうと決めていました。
 入社してからは制作部に異動となりましたが、やっぱり企画がしたいと思っていましたね。毎日セットに水を撒いたり弁当を発注したりで忙しいなか、脚本を書いてみようと思い始めたのは、勤務2年目。当時は、毎日のようにいろんな人の書いた脚本を読んでいて。城戸賞という脚本の賞があって、それの下読みは映画会社の若手がしていたんです」

 それだけでなく、撮影所で撮影中の映画の脚本も当然すべて読む。さらに時間があるときは、東宝撮影所の倉庫に眠っている黒澤明監督作品の脚本や、倉本聰の脚本を手にする日々だった。仕事をしながら年間100本以上は脚本を読んでいたという。

「企画の仕事をするなら脚本も書けたほうがいいと思って書き始めて、テレビ局のコンクールに締め切りの近いものから出していったら、3作目で賞をもらいました。当時は2時間サスペンスドラマが豊富だった時代で、全民放局に枠があったんです。だから書いていたのは自然と事件ものが多かったですね。そうすると、作品を観たプロデューサーから来る次回作のオファーはやっぱり事件ものなんです。 僕は正直、ここまでミステリをやるとは思っていなかったですし、そもそもミステリが好きだったわけでもないんです(笑)」

■何度も脚本を書き直された初作品

 最初に書いた脚本のことを今でも覚えているという櫻井氏。読売テレビのコンクールに応募をして大賞をもらい、自身の書いた本が実写化。感動もひとしおだったと思うが……。

「これが、受賞したのに審査員たちからの酷評もあったんですよ。最終的には書き直したものを放送することになって、ホンの直しというのを初めてしたんです。東京で映画の仕事が終わったら大阪まで行ってホンを直して東京に戻り、仕事が終わったらまた大阪へ行く。受賞して感動もひとしお…どころではなかった(笑)。へとへとになって、“ああ、脚本家の仕事ってこんなもんなのか”と実感したのが最初でした」

 また櫻井氏は、脚本づくりの醍醐味は、「作品を観た方から好意的な意見をたくさんいただけたときではないです」と断言する。

「好意的な意見というのは、常に悪魔的な批判とセットなので、それに耐えられる人が就く職業だなとは思います。この仕事は好きだけでは乗り越えられないことが多いと思っていて。『やりがいを感じるのはどんなときですか』と聞かれたら、僕は、子どもの学費が払えたり、親の介護ができたときだと言っちゃいます。それが物を書いてできるなんて、こんなに恵まれていることはないですね。これは別に夢のない話をしているのではなくて、むしろ夢のある話をしているつもりです」

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