「声優」とは一種の職人ではないかと思う。あくまで主役はアニメーションだが、熟練した技術でキャラクターの動きや表情に合わせて声をあて、作品に魂を吹き込む彼ら。
これまで世に出た声優の名演技は枚挙に暇がないが、そのなかでも今回はとくに世間でも話題になった演技を紹介していく。
■石田彰『昭和元禄落語心中』の菊比古
2016年に1期、2017年に2期が放送された『昭和元禄落語心中』。江戸落語で“昭和最後の大名人”とうたわれた八代目・有楽亭八雲の過去と現在をとおして、噺家たちの芸にかける思い、男女の性愛や情愛、戦後徐々に衰退していく落語と生涯をともにした八雲の生き様が描かれた作品だ。
石田彰は八雲が“菊比古”として過ごした青年期から老年期までを、なんと一人で演じている。石田といえば『新世紀エヴァンゲリオン』の渚カヲル役をはじめとしたさまざまな役柄を担当しているが、独特な声色を使い分ける希有な声優であることはご存じの通り。
そんな彼が演じた菊比古は、もともと孤独と葛藤を抱え、繊細な内面を持っていたキャラクター。それがさらに晩年、深い喪失や罪悪感、過去への執着なども合わさり、より繊細に、より気難しくなっていく。そんな老人の面倒くささ、小憎らしさ、それでいて艶やかさを見せる石田の演技は圧巻の一言だった。
さらにすごいのは、落語のシーンである。落語家の立川志らくも「石田さんの落語の演じ方の捉え方が天才的で驚いた」と絶賛するほど。なかでも作中何度か演じられた「死神」は秀逸だ。
死神のえも言われぬ不気味さと、寿命の尽きかけたロウソクの火を震える手で必死につなごうとする男の緊迫感……聞いているこっちも思わず息を止め、体にぐっと力が入る。たった一席の落語に、菊比古の生き様そのものを映し見ているような気がした。
■緒方恵美『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ
続いて『新世紀エヴァンゲリオン』。本作は謎の敵“使徒”と戦うために、汎用人型決戦兵器“エヴァンゲリオン”のパイロットに選ばれた14歳の少年少女を描いたストーリー。初回テレビ放送は1995年で、アニメブームの火付け役として社会現象にもなった。
エヴァンゲリオン初号機パイロット・碇シンジは、緒方恵美の代表作の一つだ。「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ……」という迫真のセリフは、アニメに詳しくない人でも一度は耳にしたことがあるだろう。
緒方は『幽☆遊☆白書』の蔵馬役で声優デビューを果たしてから、声優業界をけん引してきた声優のひとりである。2022年にはデビュー30周年を迎え、第16回声優アワードでは「主演女優賞」を受賞するなど、現在も活躍を見せている。
そんな彼女には、本作にまつわる仰天エピソードがある。それは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』でのこと。第6使徒から高エネルギーのビームを食らい、高熱状態になったLCL(エヴァのコックピット内を満たす液体)のなかで絶叫するシンジ。
このとき緒方は、“LCLがシンジの肺の中で沸騰しているつもりで演技してくれ”と指示され、そのとおりに演じた。そして翌日、喉の不調を覚えて病院に行ったところ、気管に軽い火傷を負っていたのだという。医者いわく“火事の現場で熱い空気を吸ったときのような状態”とのこと。
あのときシンジと一体化した緒方の肺の中では、あるはずもないLCLが本当に沸騰していたのだろう。まさに“シンクロ率400パーセント”の演技だ。