■上京した先に出会った松尾スズキやしりあがり寿
河井さんは1969年、愛知県豊橋市に生まれた。子どもの頃からギャグ漫画が好きだったという。
「後追いですけど『天才バカボン』、少年チャンピオンなら『がきデカ』、少年ジャンプだと『すすめ!!パイレーツ』あたりを読んでましたね。そんな感じで、小学生のころはわりと明るくて面白い漫画が好きだったんですけど、中学生のときに『ガロ』で蛭子能収さんなんかに出会うわけですよ。蛭子さんや根本敬さんって、それまでのすべての漫画をバカにしている感じがして、これはすごい、と。『ガロ』って、漫画だけではなくて、のちに“サブカル”ってくくられるような、漫画家じゃない人が載っていたりして、広い世界があったんですね。そういう人たちがカッコいいなと思っていました。だから、漫画家になりたい、というよりは<ここに入りたい>と。こういう面白い人たちに混じりたいと思っていましたね」
高校卒業後、<ここに入りたい>という思いを抱えて愛知県から上京、立教大学文学部に入学する。
「ほんとうは美大に入りたかったんです。でも、お金がかかるし、絵を勉強するのも大変だし、って。デッサンなんかもちょっとだけやってみたんですけど、すぐにやめちゃいましたねえ」
憧れだった『ガロ』に漫画の持ち込みを始めたのは大学を卒業する間際だった。
「就職するのが嫌で持ち込みを始めたようなものですね。僕らの世代までは、まだのんびりした感じだったんです。上がバブルの世代で、下が就職氷河期世代。その間だったんですね。だから、ちょっとヤバいかなというムードはありつつも、まだイケる、まだ遊んで暮らせるんじゃないかっていうムードもあった。それと、大学時代に演劇を見始めていて、そっちのほうにも潜り込めたらという気持ちがありました」
河井さんといえば、「TV.bros」や「ロッキング・オン」などの連載で、作家・演出家の松尾スズキ(59)とコンビを組んできたことでも知られている。
「『パラノイア百貨店』という耽美ホラーをやる小劇団に憧れて、演出助手として潜り込んだのが大学卒業の少し前ですね。その劇団と、当時はまだ今ほどの人気はなかった『大人計画』は仲が良くて、お互いに客演したりということがあったんです。その後、パラノイア百貨店はなくなってしまったんだけど、そこから発生したパフォーマンスグループで大人計画のイベントに出たりということがあって、それで松尾さんと知り合った感じですね。そのときは、漫画は描いてはいたけど、デビューはまだ。当時の大人計画はわりと誰でも出られたような感じもあって、僕は劇団には入らなかったけど、松尾さんや宮藤官九郎さんの演出するお芝居に出るようになりました。漫画家デビューはその後なんです」
マルチな才能を引っさげて、90年代のサブカル界にさっそうと登場した河井さん。漫画家デビューを果たしても、さまざまな分野での活動を続けた。
「その頃は渾然としていて、なにせ『ガロ』の人たちがそうだったんですけど、プロとアマチュアの垣根がないというか、友達だからという理由だけで、別にうまいわけでもないのに芝居に出てもらうとか、そういう文化が残ってました。それで両方やってた感じですね。ただ、どの仕事もあんまりお金が発生していない(笑)。『ガロ』だし芝居は小劇場だし、どちらも趣味の延長というか」
やがて、漫画家・しりあがり寿のアシスタントに抜擢される。
「『ガロ』の編集部から、しりあがりさんがアシスタントを欲しがっているから、河井君、行かない? って誘われて。それこそしりあがりさんて、当時からいろいろとやっている方で、その頃はちょうど安齋肇さんなんかとお芝居をやりたいっていうときだったんですね。僕は絵がダメなんだけど、お芝居のノウハウがちょっとだけあるのでお手伝いをしていたんです。だから、絵のアシスタントとは名ばかりで、そういうイベントのことをやっていた感じですね。そのうちに松尾さん経由で『TV.bros』の仕事がきたりして、なんとか食べられるようになりました」