■相手の状況と自身の心理状態までWでかけた見事な表現(『博打黙示録カイジ』伊藤カイジ)
続いては福本伸行氏の『賭博黙示録カイジ』から。福本伸行氏の作品には名言が多く、そのほとんどが比喩表現である。有名なセリフも数多いが、個人的に秀逸だと感じたのは、鉄骨渡り競争の中で飛び出した表現だ。
主人公・カイジはギャンブル船「エスポワール」での限定ジャンケンの勝負を終えた後、借金が増えて首の回らない状況になっていた。そんな中で持ちかけられた一発逆転のギャンブルが「鉄骨渡り競争(ブレイブ・メン・ロード)」である。
勝利すれば数千万円が手に入る、このギャンブルに参加したカイジ。地上10メートルほどの高所に架けられた幅の狭い鉄骨の橋をわたりきり、1着、2着でゴールすることができれば賞金を獲得できるというルールだった。
参加人数の関係で1本の細い鉄骨を複数の人間が同時にわたることになり、後続の者が1位をとるには、前を歩いている人物を下に突き落とさねばならない。この地獄のような仕組みに気づいたカイジは、その事実に恐怖する。
レース終盤、前を行く参加者の真後ろまで追いついたカイジは、震える相手の背中を見ながら葛藤する。軽く手を差し出すだけで相手を落とせる状態にあり、そのときカイジは「あまりに無力な背……!」「奈落の縁に泣く赤ン坊…!」という言葉で表現した。
前を行く参加者のあまりにも無力な状況を指した言葉ではあるが、「奈落の縁に泣く赤ン坊」と表現したところから、自身の心理状態まで言い表しているようにも思える。
泣いている赤子を突き落とすようなことはできない……つまり相手を落としたくないというカイジの心理まで、この短い比喩表現に含まれているように感じられるのだ。