■師範代時代の薫はどこから収入を得ていたのか?
そう考えると薫はどこから収入を得ていたのだろうか。薫には、あくせく働かなくてもいいぐらいの貯金があったのか。出稽古の収入がそれほどに高かったのか。もしくは、前川道場以外にも出稽古に行っていたとか? 前川道場はほぼ薫のファンクラブと化していたため、その中に太いスポンサーでもいたとか?
貯金があれば、そもそも祖父の水墨画は売ろうとしないはず。また、当時は剣術指導だけではとても食っていけない時代。前川道場から高額な報酬を得ていたとは考えられない。
ただ、薫は剣術小町と呼ばれるほどの美少女で、腕も確かだ。この人を魅了する天性の才能を生かして、出稽古だけでなく撃剣興行に出ていたのではないだろうか。撃剣興行とは、剣を振るう見世物のこと。つまり、ショーとしての剣術試合に参加して生活していた可能性がある。
これは、直心影流の榊原健吉が相撲を参考に考案したビジネス。格闘技のように、観客が入場料を払って試合を楽しむシステム。前川道場は薫目当てで門下生が増えたくらいだ。土俵で本気で戦えば、熱狂する観客は多いだろう。彼女の美貌があれば、錦絵も相当売れるはずだ。
そもそも神谷活心流は人を活かす剣を志していた。剣道の走り的な存在ともいえる、一流の流派だ。剣道にはショー的な要素もある。たまにファンサービス的なパフォーマンスをすれば、明治時代でも剣術だけで食っていけたのではないだろうか。
職業婦人の先駆けだった薫。ちょっとしたアイドルのような仕事もして居候2人を食べさせていたと考えると、彼女の献身ぶりにはつくづく感心してしまう。ここまで働き者の女性に見初められたら、男性が働かなくても老後も安泰だろう。剣心は本当にいい出会いをした、幸せ者である。