2021年12月に世界公開を控える新作映画『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の予告が先日公開となり映画ファンを喜ばせている。
『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』『モービウス』などのスピンオフ企画も続々と公開が待たれる中で、アニメ作品『スパイダーマン:スパイダーバース』の続編も2022年公開予定。原作にもたびたび登場していることもあって、そこに登場すると噂されているのが1978年から1979年にかけて日本でテレビ放送された東映版『スパイダーマン』である。東映版『スパイダーマン』は近年になって、ガシャポンやフィギュアーツといった商品化が連続するなど、再評価されているものの、その功績を知る人は少ない。
「スパイダーマン」ブームに乗り遅れないためにも、今あらためて東映版『スパイダーマン』の功績を振り返りたい。
■東映版『スパイダーマン』誕生の経緯!とにかくお金が欲しかった!
1978年に東映がある試みに出た。それは「スパイダーマン」を日本で実写テレビシリーズとして制作することであった。
ことの発端はマーベルの代理人ジーン・ペルクが、日本でマーベル作品をどう売り込むかと悩んだ末に、行きついた先が東映による実写版『スパイダーマン』だったのだ。
日本では以前から、アメコミの翻訳版が出版されてはいたものの、売れない日々が続いていた。そもそも知名度が低いということもあったが、漫画そのもののスタイルの違いなどもあって、コミック自体を流通させるのが難しいと考えられていた。
ジーンの妻は日本人ということもあって、たびたび来日。その際に子どもが『仮面ライダー』や『人造人間キカイダー』などの等身大変身ヒーローを夢中になって見ている姿を目にしたことで、特撮ヒーローを生み出し続けている東映に話を持ち込むことになったのだ。
そこで提示された条件は「東映はマーベル、マーベルは東映のキャラクターを好きに使ってよい」というもので、互いに了承。東映はさっそく「スパイダーマン」の企画を提示してきた。
「スパイダーマン」はそれ以前にも1970年から『月刊別冊少年マガジン』内にて、池上遼一によって漫画化がされていただけに、マーベルの中でも少しは知名度のある作品として選ばれたのかもしれない。
マーベルのスタン・リーは、日本国外に東映版『スパイダーマン』を出さないことを条件にゴーサインを出したことで本格的に企画はスタート。それは逆にアメリカでは放送しないから、とにかくお金になれば自由にして良いという意味でもあったのだ。