くにおくんシリーズ、何でもありの超傑作! ファミコン『ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会』は、20世紀初頭のオリンピックに酷似していた!の画像
画像はファミコン用ソフト『ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会』(編集部撮影)
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 今年5月に35周年を迎えた「くにおくん」シリーズ。ファミコン時代には、王道ケンカものの『熱血硬派くにおくん』に始まり、『熱血高校ドッジボール部』や『熱血高校ドッジボール部サッカー編』といったスポーツをテーマとした作品が人気を集めたが、ちょうど東京オリンピックが終盤を迎えるこの時期に楽しめそうなのが、1990年に発売された『ダウンダウン熱血行進曲 それゆけ大運動会』だ。

ファミコン用ソフト『ダウンダウン熱血行進曲 それゆけ大運動会』プレイ画像

 同作は冷峰学園の新生徒会長「とうどう」が企画した大運動会に、くにお率いる「熱血高校」と、りき率いる「花園高校」、そして「各校連合」の4校が参加するというストーリー。だがこれが、競技中にくにおたちに赤っ恥をかかせるための冷峰のワナだったというもので、「クロスカントリー」「しょうがいべや」「たまわりきょうそう」「かちぬきかくとう」のルール何でもありの4種目で成績を争うというゲーム。

『ダウンダウン熱血行進曲 それゆけ大運動会』より

 同シリーズには1992年に発売された『びっくり熱血新記録!はるかなる金メダル』という、まさにオリンピックぴったりのタイトルもあるが、こちらは個人種目が多くパーティゲームとしてはイマイチ。別売りのマルチタップを使うことで、この頃は珍しかった最大4人での同時対戦が可能となる『それゆけ大運動会』が当時の子どもたちには大人気だった。

■ヒッチハイクでショートカット、劇薬でファイト一発!

 少し話が脱線するが、大人になってから『それゆけ大運動会』をプレイするたび、筆者は1904年セントルイスオリンピックのマラソン競技に思いをはせてしまう。というのもこの大会でのマラソンがまさに「くにおくん」状態だったからだ。

『ダウンダウン熱血行進曲 それゆけ大運動会』より

 1904年のスポーツ科学では、熱中症対策などまったく確立されていなかった。その上で酷暑の中で行われたマラソン競技は、完走者よりも棄権者のほうが多く、参加者32名のうち、完走した選手はわずか14名だったという。

 アメリカの、フレッド・ローツも熱中症で脱落しかけた。しかし彼が倒れ込んだ場所の近くにたまたま自動車が通り(当時、自動車はまだまれな乗り物だった)、ローツはこれに乗せてもらってそのまま会場近くまでショートカットしてしまうのだ! マラソン選手が競技中にヒッチハイクするという、とんでもない行為。ローツはなにげない顔でゴールするも、直後に自動車の運転手が告発。結果、金メダルは1時間遅れで2着でゴールしたトーマス・ヒックス(アメリカ)の首にかけられた。

 ところがそのヒックスも、今の常識で照らし合わせればとんでもないことをやっていた。

 この頃は「水を飲むと疲れやすくなる」という認識が蔓延していた時代である。ヒックスも競技中にほとんど水分を摂取せずにいたが、かわりに「ストリキニーネ」を混ぜたブランデーを飲んでいたのだ。

 アガサ・クリスティーのミステリー小説のファンなら、この「ストリキニーネ」という劇薬の名はよく知っているだろう。これはまさに「定番の毒殺アイテム」で、そして「エルキュール・ポワロ登場のフラグ」である。当時のマラソントレーナーは、酷暑の中で選手にストリキニーネを飲ませてファイト一発を促していたというのだ。オゥ、モンデュー(何たることだ)!

 さらにハチャメチャは続く。キューバのフェリックス・カルバハルは、セントルイスまでの移動の最中にギャンブルに手を出し、持ち金全部を失う。ウェアとシューズを用意する余裕すらなくなり、やむをえずフォーマルのスーツを短パンに切り取って競技に出場した。足はもちろんフォーマルの革靴だ。

 カルバハルは途中、木からリンゴをもぎ取って食べ、それが原因で腹痛に襲われるも、根性を振り絞って走り見事4位入賞。このときの彼の写真は、今でも残されている。

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