■友だちみんなで知恵を出し合う光景

 ゼル伝は、ともすれば理不尽と表現されてしまうほどの謎解きも含まれている。しかしその謎解きさえなんとかなれば、次のステージへ確実に進むことができる。同じ理不尽でも「人並外れた反射神経がなければ即死」とか「そのときの運に恵まれていなければクリアできない」という性質のものでは決してない。

『ゼルダの伝説』プレイ画面より

 知恵を使えば必ず希望を見出すことができる。だからコントローラーを手に取った子どもたちは、目の前の謎に本気で向き合う。

 が、たった一つの脳では謎解きにも限界がある。ここは友人も呼んで意見を請いたい。画面に釘づけの子どもたちは「ああでもない、こうでもない」と議論しながらコントローラーを回し合い、学校で勉強している最中もゼル伝のことをひたすら考える。あの部屋の仕掛けはこのアイテムを使えないかな、ボスはこうやって倒せないかな、という具合に。先生の目を盗んで自分なりの攻略法をノートに書き、休み時間に友だちと共有する。ネットのない時代、友だちの口から出る話は貴重な情報だった。上述の「複数人で挑戦するアクションRPG」とは、そういう意味である。

『ゼルダの伝説』プレイ画面より

 それを「ゲーム依存」と言うのは簡単だ。しかし、子どもは大人以上に厳しい目を持った消費者である。何のしがらみのない彼らは、自分の触った製品をひいき目で評価することはない。「子どもを虜にする」ことがいかに難しいか、そのあたりを深く考える大人は近年減ってしまったようにも思える。

■真価を発揮した瞬間

 ゼル伝の真価は、ハードが代替わりしたあとに発揮されるようになった。ファミコンのディスクシステムは前衛的かつ革新的な発想の製品であったが、その売り上げは芳しいものではなかった。だからこそゼル伝は、より多くの情報量を詰め込むことができる新ハードを必要とした。

 1991年発売の『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』は、スーパーファミコン用ソフトである。

 初代ゼル伝の謎解き要素やダンジョンの基本構成はそのままに、欠点であった「ノーヒントの謎解き」を見事に克服した。爆弾で壊せる壁のグラフィックは差別化され、登場キャラクターのセリフも精緻になった。そこに攻略のヒントを盛り込むことができるようになった、ということだ。

 が、「友だちみんなで挑戦する謎解き」という部分は不変不動だった。あの日の我々は、友だち全員でハイラル王国を冒険していたのだ。

 ひとつのゲームタイトルがコミュニティーを形成し、それが徐々に広がって遂に世界的ネットワークに成長する。ゲームによる世界平和は、決して空想物語ではない。国際交流とは即ち、言語を超えた共通事項を確立することである。ゼル伝は既にその役割を果たし、各国の人々の夢をつないでいる。

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