■CASE.3 劇中劇で明らかになるメタ構造
『涼宮ハルヒの憂鬱』のオープニングを見ていると、実際にアニメ番組を作っているスタッフの名前の最後に「超監督 涼宮ハルヒ」というクレジットが大きく入っていることに気が付く。ハルヒの思い通りに世界が動いている……という作品内の構造を理解できると、もしかするとアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』自体も作品内のハルヒの意志によって作られていると考えても、それほど不自然ではないように思えてくる。
さて、本作の第2期は第1期14本に新作14本を足して、順番を並べ替えて放送された。現在見ることができるのは、第2期全28話のバージョンだ。そのうち第20~24話はハルヒが監督となって家庭用ビデオで自主映画を作る話、第25話『朝比奈ミクルの冒険 Episode00』は同じタイトルの自主映画から始まり、ラストで「超監督」の腕章をつけたハルヒ自身が現れ、すべてが試写会であったことが判明する凝った構成だ。
凝っているのは構成だけではなく、実写で素人が自主映画を撮った場合に考えられるあらゆるトラブル――通行人やスタッフが映り込んでしまう、カットが変わるたびにバックに鳥の鳴き声や車の通行音などが入ってしまう――が、徹底的に再現されている。もちろん声優は下手に演技しているし、ピンぼけやカメラのガタ付きはあるし、映像もホームビデオで撮った設定なので滲んだような色調になっている。
一見すると「才能のない高校生の撮った、とるに足らない自主映画」なのだが、その映画内で朝比奈は宇宙から来たウェイトレス役、長門は魔法使いの宇宙人役、古泉は超能力者役……と、『涼宮ハルヒの憂鬱』では事実である登場人物の正体が『朝比奈ミクルの冒険』の中では、すべてフィクションとなっているのだ。
「ハルヒから見るとSOS団のメンバーは普通の高校生に過ぎない」、この物語構造が、彼女の撮った自主映画の中では主客転倒しているわけだ。『朝比奈ミクルの冒険』以上に、『ハルヒ』の世界観を正確かつ雄弁に語った作品はない。そして、第1期では『朝比奈ミクルの冒険』が第1話として放映されたため、原作を知らない人は「別のアニメ番組ではないか?」と面食らったが、ハルヒ自身の世界観と物語内での設定がストレートに映像化されているわけだから、実はこれが第1話で正しいのである。
第2期では映画の作られる細かな過程が描かれたあとに『朝比奈ミクルの冒険』が位置するため、撮影中に古泉が「涼宮さんは映画という媒体を利用して、ひとつの世界を再構築しようとしているのです」と簡潔に説明しているが、たかが映画、たかがアニメと言い切れない多層構造が『涼宮ハルヒの憂鬱』の底知れない魅力なのである。
※本記事は『EX大衆』2019年12月号の企画を再構成したものです。