■リングの外から観察する「心」を手に入れる 

 最後は「心」の成長である。引退後の一歩は、実家の釣り船屋を手伝うかたわら、鴨川ジムのトレーナーとして後輩を鍛えたり、セコンドとして試合にかかわったりするなど、二足のわらじを履く生活を送っている。これが功を奏したのか、一歩はリングの外からボクシングを客観的に学ぶ「心」を育んでいく。

 かつてのライバルである宮田一郎、間柴了の試合を立て続けに観戦した一歩は、第1256話において、自身がおろそかにしてきた左ジャブの重要性を実感する。強力な「デンプシー・ロール」に頼るあまり、鋭い左ジャブで主導権を握るという基本中の基本を忘れていた、と現役時代の弱点を語る一歩。その冷静な分析力は、現役時代には見られなかったものだ。

 本人は“だから負けた”と未練を口にするが、これは立派な成長の証といえるだろう。実際、この気づきをきっかけに、一歩はカウンターやピボットターン(軸足を地面につけたまま体を回転させて避ける技術)など、現役時代に使ってこなかった高度なテクニックを習得している。

 個人的には、一歩に早くリングに帰ってきてほしい。だが、リングの外からボクシングを学ぶ「心」を得た彼が、このまま学習を続けたらどうなるのだろうか。それを見届けたいという気持ちもまた、捨てがたい。

 

 皮肉なことに、一歩は現役を引退したからこそ、より一層強くなったといえるだろう。

 「体」の強化は、長年蓄積されたダメージからの回復が大きく影響しているはずだ。他者のボクシングを学ぶ「心」は、セコンドにならなければ身に付かなかっただろうし、そうして学んだ成果が新たな「技」として結実している。

 現役引退は読者にとっても一歩にとっても重い決断であったが、彼がボクサーとしてさらなる高みに到達するには、必要なものだったのかもしれない。

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